Jホラーといえば、薄暗い部屋の隅に佇む、髪の長い、湿っぽい女性の幽霊がお決まりのスタイルでした。しかし、そんな「記号化された恐怖」の先にある、これからのホラーの形に、現代の漫画が面白い一石を投じています。
現在ジャンププラスで連載中の『こわいやさん』という作品の中で、非常に深く、そして鋭く未来を見据えたこんな会話ラリーが登場します。
「なぜ典型的な幽霊のイメージは女性で描写される事が多いのでしょう?怖さを描写するならば大男の幽霊の方が合理的だと思うのです」
「違和感や恐怖を表現する時に何をするか分からない存在として次の行動が読めない方が都合がいいというのはあると思う。フィジカルで強そうなら直接的な暴力を暗示するし、弱そうならば超常的なものを表現しやすいんだろうな。それに『女性は感情的』って偏見も関係していると思う。泣く取り憑く怨む。そうした感情的な反応を女性的なものとして表現してきた結果なんだろう」
「反面今の時代は弱音を吐けず助けを求めず静かに壊れていくのはむしろ男のイメージがありますね。自殺率も男性の方が圧倒的に多いですし」
「数十年後のホラー映画ではおじさんの幽霊がメジャーになっているかもな…」
Amazon.co.jp
この対話、社会的な背景や人間の心理を突いた、非常に解像度の高い指摘だと思います。

今回は、この言葉をガイドラインにしながら、映画における恐怖のリアリティの変遷について考えてみたいと思います。
1. 髪の長い女性幽霊が「合理的」だった理由
まず、作中の説の正しさを立証するように、これまでのホラー映画を振り返ってみましょう。
髪の長いじっとりした女性幽霊の代表格といえば、真っ先に思い浮かぶのが『リング』(1998年)に登場する「貞子」ではないでしょうか。

貞子はテレビから這い出てくるという点が既に超常的ではありますが、その後ゆっくりと近づいてくるだけでもう震えて動けない、そんな不気味さそのものが恐怖の核になっています。劇中のキャラクターたちは、物理的な暴力を振るわれるからではなく、「何をされるか分からない」という次の行動が読めない底知れなさに腰を抜かし、身動きできなくなってしまうのです。

まさに「貧相な見た目だからこそ、超常的な恐怖を表現しやすい」というロジックそのものですね。
一方、ホラー映画において、男性の霊で大男というのはあまり思い当たりません。物理的な恐怖の象徴である『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスなどは生身の人間(殺人鬼)ですし、霊的・超自然的なキャラクターである『テリファー』のアート・ザ・クラウンや『IT/イット』のペニーワイズなどは、明らかにピエロのような猟奇的な見た目で観客を怖がらせるものであり、純粋に「大男のフィジカル」で勝負しているわけではありません。

やはり、映画の世界でも「何をしてくるか分からない超常的な恐怖」を描くためには、女性的な記号を用いるのがこれまでの定番であり、最も効果的なのだと思います。
2. 例外としての「おっさん幽霊」:『シャイニング』の場合
そんな「女性=超常的な怪異」「男性=物理的な殺人鬼」という大原則があるからこそ、普通の格好をしたおっさんがそのまま幽霊として空間に馴染んでいる描写は、映画の歴史において極めて例外的でした。その数少ないケースとして映画ファンの頭に浮かぶのが、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(1980年)かもしれません。
劇中のホテルには、バーテンダーのロイドや、前任の管理人グレイディ、その他諸々中年男性の幽霊が登場します。
しかし、この映画において本当に観客を恐怖のどん底に突き落とすのは、やはりあの廊下に佇む双子のグレイディ姉妹であったり、バスルームの浴槽から現れる妖女であったりします。
彼らおっさん幽霊たちは、身なりも整っており、どちらかといえば理性的でクラシカルな存在です。どれだけ不気味であっても、映画的な「お化け屋敷の住人(狂言回し)」の枠を出るものではなく、まだこの段階では「何をしてくるか分からない現代的な不気味さ」までを背負わされてはいませんでした。

3. 「弱音を吐けず、静かに壊れていく」これからのリアリティ:『死に損なった男』
つまり、「中年のオッサンがとにかく得体が知れなくて恐ろしい」という感覚は、これまでの映画が描いてきたクラシカルなお化けの枠組みではなく、私たちがこれからの生活において肌で感じていくリアルな危機感から生まれているものなのです。
『こわいやさん』で語られる、「今の時代は弱音を吐けず助けを求めず静かに壊れていくのはむしろ男のイメージ」というリアルな世相。この、一歩先を行く恐怖と哀愁の要素を、まさにそのまま幽霊の姿にスライドさせたのが、映画『死に損なった男』(2025年公開)です。

本作はコメディ寄りの作品ではありますが、描かれている幽霊のリアリティは非常に先見性があります。主人公の前に現れるのは、生前は国語教師だったという、ごく普通の冴えない中年男の幽霊。おどろおどろしい呪いをかけるわけでも、猟奇的に襲ってくるわけでもありません。
しかし、現代的な狭いワンルームマンションの中に、ただただ「よく分からない、静かに壊れてしまったおっさん」がポツンと佇み、こちらの出方を窺っている。この「対話が成立しなさそうな得体の知れなさ」や、同じ空間を共有しなければならない生々しい気まずさは、まさに私たちがこれからの日常で抱える「何をしてくるか分からない人間(おっさん)への恐怖心」の本質を突いています。

コメディながら、初登場時はなかなか不気味で、この説に最も近いかもしれません。
今日の映学:幽霊のイメージは「感情の呪い」から「孤立の気配」へ
最後までお読みいただきありがとうございます。
かつてのホラー映画は、「泣く、取り憑く、怨む」といった感情的な反応を女性的なものとして表現し、記号的な恐怖として消費してきました。日常から「非日常」の世界へと引きずり込まれる恐怖には、そうした一目でわかる情念必要だったのです。
しかし、人間関係が希薄化し、個人の孤立や不条理さが際立つこれからの時代において、本当に恐ろしい存在とはなんでしょうか。助けを求められずに静かに壊れ、私たちのすぐ隣の日常に「何をしてくるか分からない存在」としてポツンと浮遊している、そんな中年のオッサンたちの姿かもしれませんね。

『こわいやさん』のキャラクターたちが予言するように、数十年後のホラー映画では、おじさんの幽霊がメジャーになっている未来が、もうそこまで来ているのかもしれません。
おまけ:とにかく「オッサン幽霊」を浴びるように観たい人へ
ここまでオッサン幽霊の持つこれからの不気味さについて分析してきましたが、最後に、
「不気味なのはもういいから、とにかくオッサン幽霊が大量に出てくる映画が観たい!」
「実はオッサン幽霊がたまらなく大好き!」
という物好きなあなたへ、とっておきの作品を紹介して終わりにしたいと思います。
それは『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年)です。
ご存知の方も多い感動の名作ですが、この映画、実は「普通のおっさん幽霊」が一番たくさん登場する作品でもあります。トウモロコシ畑からゾロゾロと野球のユニフォーム姿で現れる往年の名選手たちは、全員ただの普通のおじさんやお兄さんたち。

彼らは決して「静かに壊れた存在」ではなく、純粋に野球を愛する温かい死者たちです。 恐怖度は完全に0%、ノスタルジー100%。 これからのオッサン幽霊トレンドに心が疲れそうになったら、ぜひこのトウモロコシ畑のオッサンたちに癒やされてみてください。
X(旧Twitter)はこちら
https://twitter.com/bit0tabi
Instagramはこちら
https://www.instagram.com/bit0tabi/
Facebookはこちら
https://www.facebook.com/bit0tabi/
noteはこちら
https://note.com/bit0tabi



コメント