小林正樹監督の『怪談』を鑑賞し、私は今、猛烈な目眩(めまい)の中にいます。 これまで多くの映画をレビューしてきましたが、断言します。本作を観たことで、私の中の日本映画ランキングは完全に塗り替えられました。
これはホラーという枠を超えた、日本映画の至宝であり、執念が結実した巨大な芸術作品です。

60年以上前の作品が、今の最新4K・CG映画よりも「鮮烈」に映る。その圧倒的なクオリティの正体を解き明かしていきます。

セットやカメラワーク、キャストの凄さ。語りつくせない魅力が満載だよ!
黄金時代の栄光と、独立プロの「狂気」
1950年代から60年代、黒澤明や小津安二郎が世界を震わせ、日本映画が名実ともに黄金時代を謳歌していた頂点において、本作は誕生しました。
特筆すべきは、本作がメジャー主導の企画ではなく、独立プロダクション「にんじんくらぶ」によるプロジェクトだったという点です。企画・制作を主導した彼らは、現代換算で数十億円規模という独立プロとしてはあり得ない巨費を投じました。
巨大な飛行機格納庫を借り切り、そのほとんどをセットで撮影。背景の空一点一点までを巨匠・戸田重昌が手描きするという小林正樹監督の徹底した完璧主義により、撮影期間は1年に及び、完成を前にして資金が底をつくという異常事態に陥りました。最終的にはメジャーの東宝がその情熱(と負債)を引き受ける形で完成に漕ぎ着けましたが、この「組織の破滅を厭わない熱量」こそが、本作に、今の商業映画には決して出せない殺気立った美しさを与えているのです。
その執念が結実した本作は、1965年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。当時の世界の批評家たちからは「動く絵巻物のようだ」と激賞され、日本映画が持つ独自の様式美を世界に改めて知らしめることとなりました。
視覚革命:冒頭から予感させる「シャイニング」への系譜
本作を観て、スタンリー・キューブリックの傑作群を連想しないわけにはいきません。特に第2話「雪女」の幕開けは衝撃的でした。

「雪女」の冒頭、シンメトリーな構図の中で主人公たちが雪の中を彷徨い歩く様子を観た瞬間、強烈な既視感に襲われました。あの寒々しくも完璧に計算された雪景色のショットは、明らかにキューブリックの『シャイニング』終盤、雪の迷路を彷徨うシーンと重なります。
さらに、空に浮かぶ巨大な「目」のような背景画。あれは単なる装飾ではなく、物語のラストで約束を破った男を射抜く視線へと繋がる「巨大な視覚的伏線」です。この逃げ場のない圧迫感と、全知全能の視点を感じさせる演出は、1965年の時点で、すでに後の『シャイニング』が到達する恐怖の極致を先取りしていたと言えるでしょう。
「視線」の恐怖から「視えない」恐怖へ——完璧な構成の妙
本作を観て唸らされたのは、エピソードの並び順による「視覚的な揺さぶり」です。「雪女」では、空に描かれた巨大な目が象徴するように、常に「異界から視られている」という恐怖が描かれます。しかし、続く「耳無し芳一」では一転して、主人公は盲目であり「こちらからは視えない」という設定に移ります。

「視られている」という強烈な意識を植え付けられた直後に、今度は視覚を奪われ、音と闇の中に亡霊の気配だけを感じる恐怖へと突き落とされる。この視覚の反転こそ、小林監督が仕掛けた最高に意地悪で完璧な構成なのです。
俳優たちの「緩急」と「格」が生む圧倒的な実在感
出演陣の豪華さは語り草ですが、中でも最も有名かつ人気のある「耳無し芳一」を支えているのは、意外にも「滑稽さ」の演出です。
田中邦衛さんや佐藤慶さん演じる寺の男たちのやり取りには、どこか現代の作品にも通じるユーモラスな「軽さ」があります。この絶妙な緩急があるからこそ、その後に現れる亡霊たちの「非現実的な恐ろしさ」が、より一層のコントラストを持って観客に突き刺さるのです。
また、宝塚出身の新珠三千代が放つ、しっとりとした気品と影のある美しさは、現代の俳優では再現不可能なほどの存在感でした。こうした「格」のある俳優たちが、田中さんのような「生身の人間」の体温と共存しているからこそ、この物語は今も古びない魅力を放っています。

「色彩の暗号」:情念としての赤
本作を鑑賞する際、最も注目すべきは「赤」の使い方です。白、黒、青が支配する静寂の「死の世界」に、突如として介入する「赤」は、常に生身の人間、情念、そして避けられない破滅を象徴しています。
「黒髪」で裏切られた前妻が纏う深紅の着物。「雪女」の白銀の世界に置かれた鮮烈な赤い旗。そして「耳無し芳一」の壇ノ浦を染める血と、芳一の耳から流れる生々しい鮮血。墨の黒と、雪の白、そしてこの情念の赤。この三色のダイナミックなコントラストは、歌舞伎の様式美を映画へと見事に昇華させた結果であり、本作の芸術性を決定づけています。
伝説の職人技と『茶碗の中』の革新性
どうやって撮ったのかと驚かされるシーンの数々も、すべてアナログな知恵と技術の結晶です。全身を背景と同じ漆黒で塗り潰し、耳以外の部分をライティングで同化させて撮られた芳一のシーン。1968年の『2001年宇宙の旅』を先取りした、水槽の中でのインクの拡散によるタイトルバック。
そして、最終話『茶碗の中』の革新性もまた特筆すべきです。これまでの因果応報をあざ笑うかのような、不条理で「未完」のエンディング。茶碗に誰かが映るというシンプルな恐怖をハーフミラーの技術で撮り切り、最後は観客にその呪いを丸投げして終わる。この前衛的なメタ構造は、今もなお呼吸を続ける「怪物」としての本作を象徴しています。

今日の映学:時代を超えて突き刺さる「真の映像美」
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回、配信サービスを通じて本作に触れ、その圧倒的な色彩の深みとディテールの精緻さに言葉を失いました。現代の技術で磨かれた高画質の映像は、当時のスタッフが一コマ一コマに込めた「100年後の観客をも驚かせようとした気概」を、鮮烈に浮かび上がらせています。
黒澤、小津、そして小林正樹。彼らがいた時代の日本映画は、間違いなく世界の中心にありました。 「今の映画には何かが足りない」と感じているすべての人へ。この映像の濁流に、ぜひ身を投じてみてください。

私の中のランキング1位は、当分動きそうにありません。

観たことない人はぜひ!ホラー好きにもそうじゃない人にもおすすめだよ!
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