『悲しい話は今は おしまい』 世界が大変な時に楽しい事をしてはいけないのだろうか

読書

世の中が困難な状況にある時や、自分自身の身の回りで大変なことが起きている時、「今、自分だけがこんな風に楽しいことをしていてもいいのだろうか」と感じてしまうことはないでしょうか。大きな出来事が起きた時の記憶や、日々の真面目な性格ゆえに、日常をエンジョイすることに対してどこかブレーキがかかってしまう。そんな悩みにそっと寄り添ってくれる一冊に出会いました。それが小沼理さんの著書『悲しい話は今は おしまい』です。

『悲しい話は今は おしまい』概要

  • 著者: 小沼理
  • 内容: クィア視点をベースに、当事者たちの日常や世界の情勢、踊りやおしゃべり、抵抗の中にあるユーモアを描いたエッセイ。

個人的な悩みと、この本を手に取ったきっかけ

世の中が大変な時に楽しい事をしていてもいいのかという葛藤は、自身の性質や過去の経験と深く結びついています。例えば、3.11の当時に大学の卒業旅行でグアムにいて、事態の深刻さに気づかず不謹慎に過ごしてしまった記憶や、その後の忙しい社会人生活の中で追悼の意を抱く暇もなかったことに対する反省が、今なお心のどこかに影を落としています。仕事においても真面目すぎるあまり、「こんなことをしていていいのか」「アクシデントがあった時に休日をエンジョイしてもいいのか」と考えてしまうことががあり、売りたくないものを売るような営業職ではそうした特性とのギャップに苦しむことも少なくありません。

そんな自身のサバイバーズ・ギルトや真面目ゆえの生きづらさと向き合いたいと思っていた時、書店の方に勧められて手に取ったのが本書でした。

本から得た知見と感想

本書はクィア視点をベースに書かれているため、いわゆるLGBTQ+というジャンルに分類されることが多い作品ですが、当事者たちの日常や世界の情勢を深く知る学びになると同時に、リベラルな思想に共感する身としても多くの気づきを与えてくれました。

作中では、立場や属性からはみ出ることを抱えながらも、絶望しないで話し続けるため、そして今だけは「明るい話」をするために紡がれる言葉や、抵抗の中にあるユーモアが描られています。その姿は切実でありながらも温かい力を宿しており、属性を問わず多くの人の心に波紋を広げるものです。いつの日か、この本が特定のジャンルを超えて、ごく自然に街の「エッセイ棚」に並ぶ日が来ることを願わずにはいられません。

映画や物語を観る時、あるいは日々の生活を送る中で、「楽しむこと」に対する罪悪感とどう向き合うかというテーマはとても大切な問いです。本書は、大変な世界の中でもユーモアを忘れず、軽やかに、しかし真摯に生きるためのヒントを教えてくれました。自分の内面にある痛みや葛藤を否定するのではなく、それに寄り添いながら歩んでいくための確かな支えとなってくれる一冊です。

今日の本学

最後までお読みいただきありがとうございます。世界が困難な状況にある時や、自分自身がサバイバーズ・ギルトや真面目さゆえの生きづらさを抱えている時、私たちはどうしても「楽しむこと」に罪悪感を抱いてしまいがちです。しかし、小沼理さんの『悲しい話は今は おしまい』は、クィア視点やそこにあるユーモアを通じて、大変な世界の中でも絶望せずに日常を生きるための大切な視点を教えてくれます。自分の中にある特性や葛藤と向き合い、軽やかに、そして真摯に日々を重ねていくためのヒントが詰まった、心強い一冊でした。

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