死は存在しない 人間しか『経験』をできない

暮らし

5/16午前8時、飼っている猫の「シロ」が亡くなった。

悲しくて今日一日ずっと沈んでいたが、そろそろ顔を上げたい。

と言いつつ、ノートをタイプしている今も、胸に込み上げるやり切れない気持ち。今にも涙がこぼれそう。

僕もそれなりに歳をとった。

大切な存在がいなくなることは、これから少なからずあるだろう。

今回の経験で得た今の気持ちを、その時のために書き留めておこうと思う。

「シロ」メス猫。享年18歳くらい。おとぼけなところのある、可愛い子でした。

死は存在しない

ひなたぼっこする「シロ」

夢をかなえるゾウ4」に、こんな一節がある。

「自分は、どこからが『自分』なんや? 生まれたばっかの赤ちゃんのころか? でも、おかんのお腹の中にいる時はどうなんやろ? 卵子と精子が出会ったときは? ほな、出会う前の卵子と精子は、自分とは違う存在なんやろか?」

さらにガネーシャは続ける。
「自分は、どこまでが「自分」なんや? 意識があるときまでやろうか? ほな意識がぼんやりしてきたときはどうなんや? 年取って、周りの人が分からんようになったときは、もう自分ちゃうんやろか?」

ガネーシャの話を聞いて、
(意識があるときまでが自分なんじゃないだろうか…..)

なんとなく思ったが、 ガネーシャは続けた。
「事故なんかで意識をなくしてもうても、体が生きてる人がおるわな。 病室でその人を見た人は、「まだ生きてる」 て強く感じるちゅう話、聞いたことないか? そんで、もしその人が奇跡的に意識を取り戻したら、意識がなかったときは死んでたんやろうか? そしたら人間は、死んだり生きたりできるちゅうことにならんやろうか?」

ガネーシャが話を掘り下げていくにつれて、人間は、どこまでが「自 分」と呼べる状態なのか、明確な線引きはできない気がしてきた。
「どこからが『岩』で、どこからが「石」で、どこからが 『砂』なんか決められへんよう に、どこからどこまでが「自分」なんかは、はっきりとは決められへんねん」

そしてガネーシャは、手に持った石を地面に転がして言った。
「『土に還る」ちゅう言葉があるやろ」

僕がうなずくと、ガネーシャは続けた。
「昔の人らが使てた言葉やけど、自分が『石』ちゅうことがよう分かってたんやろな。 岩 が、石や砂、さらには他のものに変化していくように、自然から生み出された自分も、い つかは土になり、他のものに形を変えていく……..」

ガネーシャは続けた。
「物質を形作る一番小っさい単位の粒子を想像してみい。岩も、石も、砂も、人間も、そ の粒子が集まってできたもんやとしたら、 この世界に存在するものはすべて、同じ素材で 作られたものが、形を変え続けているだけて言えるんちゃうか」

「『人は死んだらどうなるか』て聞いたな」

「その質問に対する答えは、「形を変えて他のものになる」ちゅうことになるやろな。 ただ、この景色を見た自分なら、もう分かるやろ」

そして、ガネーシャは言った。

「死は存在せえへん」

「夢をかなえるゾウ4」より引用

この世界にあるものは、本当は「同じもの」が変化し続けていて、すべてはつながっている。
しかし、僕たちは、その一部だけを切り取って、岩、石、砂、のような名前をつけて、別々のものとして認識している。
そういったものの見方が当たり前になってしまっているから、全体と自分を分けてとらえてしまうということだ。

この言葉に出会ってから、悲しいお別れの時の気持ちが少し楽になった。
少しは受け入れられやすくもなったように思う。

人間しか『経験』をできない

人間として生まれた僕たちは、こんな風に苦しんだり、悲しんだりすることがたくさんある。

どうして僕たちは、あの心地良い世界から離れ、人間として生きているのだろう。


人間としての生を歩まされているのだろう。


すると、ガネーシャは言った。


「それはな…つながりから離れへんと、「経験」できへんからや」


ガネーシャは続けた。
「全部がつながってる世界では、死の不安や苦しみは存在せえへん。そもそも死が存在せえへんからな。ただその分、生きることの喜びや感動も存在できへんのや。
なんで赤ちゃんが泣きながら生まれてくるか分かるか?
それはな、母親とヘソの緒でつながってる安らぎの世界から切り離されたからや。ただ、 そうなることで初めて、自分とは違う『母親』の存在を知り、「笑う」ことができるようになんねんで」


ガネーシャは続けた。
「人間が存在する理由は何か? それは、苦しみも、その苦しみに支えられた喜びも、すべてを「経験」するためや。水にも、土にも、木にも、他の生き物にもできへん、人間という形でしかできへん「経験」をするためなんや。 ····そうやんな、釈迦?」


「私が残した言葉の中で、最も有名で、かつ、多くの誤解を生んでいるものがあります」

そして釈迦は、右手の人差し指を天井に、左手の人差し指を床に向けて言った。


「すべては同じものであり「自分は存在しない」という悟りの世界を伝える私がどうして生まれた瞬間、七歩歩いて天と地を指差し、「私にしかできない尊いことがある」 と言ったとされているのか。あの言葉は、私が特別な存在だと誇っているのではありません。
あの言葉の「我」が意味するのは、「我々」。つまり、この広大な宇宙には、 我々 『人 間」にしかできない尊いことがある、と言っているのです」


そして釈迦は、天を指していた指を僕に向けて言った。
「あの言葉は、様々なものに形を変えながら輪廻するこの宇宙がたった一度の『あなた』という形でしか味わうことのできない、経験の尊さを言っているのです」


≪中略≫


「喜怒哀楽をおさえることなく表に出してみい。泣いたり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり・・・・・・自分が経験するすべてのことは、全宇宙の望みなんやからな」

「夢をかなえるゾウ4」より引用

少し矛盾しているように感じるかもしれないが、「死」や「命の終わり」を恐怖の対象と捉えず、ある程度受け止めながら、いろいろなことを経験していこう。人間に生まれたからには。

そんな風に思う。

最後までお読みいただきありがとうございます。

たくさんいたうちのペットも残り1匹。

最後まで見守ってくれた双子の姉妹「ゴマ」

元気でいよう。

「シロ」今までありがとう。

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