「この音を聴くだけで鳥肌が立つ」 そんな映画の音楽を思い浮かべるとき、あなたの頭に流れるのはどんなメロディでしょうか?
先日の記事では、日本と海外のホラー映画における「プロット(構造)の違い」についてお話ししました。
じわじわと因果を紡ぐJホラーと、圧倒的な力で襲いかかる海外ホラー。
その思想の違いは、実は映画を形作るもう一つの重要な要素である「音」にも、驚くほど色濃く現れています。
日本のテレビ番組を観ていると、緊迫したシーンでよく『サイコ』のあの音楽を耳にしますよね。あれはもう、時代を越えた名曲(名BGM)なわけです。『エクソシスト』のあの音楽もそんな感じ。では、日本のホラー映画の音楽はそういった象徴的に使われることがあるのかというと、そうでもない。
なぜ欧米のホラーには、映画史に名を残す巨匠たちが手がけた「恐怖の名曲」が数多く存在するのか。対して、日本のホラーには誰もが口ずさめるようなテーマ曲がほとんど存在しないのはなぜなのか。

今回はその理由を、文化的な歴史や「脳が音をどう捉えるか」という面白い仮説から、アカデミックに紐解いていきましょう。
解説
「ヒュードロドロの怨霊」vs「肉体派のモンスター」:怪異のルーツが音を決める
日米のホラーにおけるサウンドデザインの最大の違いは、それぞれの国が古くから培ってきた「恐怖の対象」の歴史にあります。
- 日本:肉体を持たない超常能力の怖さ 日本のホラーのベースにあるのは、歌舞伎や落語から続く「怪談文化」です。お岩さんやお菊さんのように、じっとりとした女性の怨念が、壁をすり抜け、時空を超えて呪い殺すような「得体の知れない超常の力」が恐怖の対象となります。 古くから怪談の登場シーンに「ヒュードロドロ」という和楽器の音が使われてきたように、Jホラーの音もまた、肉体を感じさせない、空気中に漂うような「じっとりとした音響(低音のうなりや不穏な和音)」が主流になります。映画『呪怨』などが象徴的ですが、メロディとして主張させないことで、観客に「部屋の空気が歪んでいる」ような気配を感じさせるのです。
- 欧米:人間を凌駕するフィジカルの怖さ 一方で欧米のホラーは、吸血鬼、狼男、フランケンシュタイン、あるいは現代の殺人鬼(スラッシャー)に至るまで、伝統的に「肉体(フィジカル)を持った強大な異形」、それも男性的なパワーを持つ怪物がベースにあります。人間を物理的な力で圧倒し、切り裂き、貪り食うという恐怖です。 この「肉体的な衝突」や「肉肉しい暴力」を描くためには、打楽器の重低音や、鋭利にエッジの効いた力強い音が必然的に求められます。アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』の有名なシャワーシーンで鳴り響くシャープなストリングスは、まさにナイフが肉体を切り裂く動きと連動した、聴覚へのダイレクトな物理攻撃としてデザインされているのです。
脳科学のロマン:日本人は「気配」を聴き、欧米人は「サウンド」を聴く?
この「音」の役割の違いを裏付ける、非常に興味深い脳科学的な仮説があります。1970年代に東京医科歯科大学の角田忠信博士が発表した「日本人の脳(角田理論)」という研究です。
この研究によると、人間が「虫の鳴き声」や「風の音」「家の軋み」などの自然音・環境音を聴いたとき、欧米人と日本人では処理する脳の領域が異なる可能性があると指摘されています。
- 欧米人: 環境音を、楽器の音と同じ「音楽・サウンド」として【右脳】で処理する。
- 日本人: 環境音を、人間の母音(言葉)に近いものとして【左脳(言語脳)】で処理する。
この脳の知覚システムの違いは、そのままホラーのサウンドデザインに直結していると考えられます。
欧米の観客にとって、風の音や軋み音は右脳で処理される純粋な「背景音」に過ぎません。そのため、彼らに恐怖を伝えるには、右脳にダイレクトに響くエッジの効いた「シャープな音楽(楽器の音)」を構築し、「これは恐怖のシグナルだ!」と記号化して叩き込む必要があったのです。
対して、日本人は家の軋みや湿った足音を、左脳で無意識に「言葉(=何かを訴えかけている声)」のように受け止める傾向があります。だからこそ、Jホラーは大仰なテーマ曲を鳴らさなくても、静寂のなかに響く日常の微かなノイズだけで、脳が勝手に「いま、誰かがそこにいる(気配)」と解釈してしまい、じっとりとした恐怖を感じるのです。
欧米ホラーは「実験的な音楽」の最前線だった
もう一つの興味深い視点は、欧米においてホラー映画というジャンルが、一流のエンターテインメント、あるいは芸術として多額の予算と共に扱われてきた歴史です。そのため、映画音楽界の巨匠や現代音楽の最前線にいる音楽家たちがこぞって参入しました。
- 巨匠たちが仕掛けるキャッチーな恐怖 『サイコ』の音楽を手がけたバーナード・ハーマンは、名作『市民ケーン』なども手がけた映画音楽界のレジェンドです。また『エクソシスト』では、マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」というミニマル・ミュージックの名曲や、現代音楽の巨匠クリシュトフ・ペンデレツキの前衛的な楽曲が効果的に使用されました。 欧米の音楽家たちにとって、ホラー映画は「人間の根源的な恐怖を煽るための、最も尖った実験ができる魅力的な舞台」だったのです。結果として、映画の枠を飛び越え、単体で大ヒットを記録するような「映画の顔(アイコン)」となる名曲が数多く生まれました。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回の「音」における日米ホラー比較、いかがでしたでしょうか。
海外ホラーが「強大なフィジカル」を表現するためにエッジの効いた名曲を仕掛けるのに対し、日本ホラーは「肉体のない怨念」を描くためにあえて象徴的なメロディを使わず、空気をじっとり湿らせる。そしてその根底には、環境音を「言葉」として捉えるか「サウンド」として捉えるかという、私たちの脳の不思議な知覚の違い(角田理論)までもが関わっているのかもしれません。
前回のプロット(動と静)の違いが、怪異のルーツ、さらには人間の脳のシステムにまで繋がり、最終的なサウンドデザインの思想にまで直結しているのは、映画表現として実に見事な一貫性です。
次にホラー映画を観るときは、ぜひ視覚だけでなく「耳」を主役にしてみてください。そこには、歴史と文化、そして科学に裏打ちされた、饒舌な恐怖の計算が隠されているはずです。

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