『終わりの鳥』が暴く、美しくも残酷な東欧的死生観

映画

死神がもし、巨大な鳥の姿で、しかもひどく雄弁に現れたら。そんな奇妙な導入から始まる本作『終わりの鳥』(原題:Tuesday)は、観る者の死生観を静かに、しかし根本から揺さぶります。

なぜこの物語がこれほどまでに独創的で、それでいてどこか懐かしい不気味さを湛えているのか。

bitotabi
bitotabi

その背景にあるルーツを紐解きながら、一見難解な本作の解像度を高めていきましょう。

ダニー
ダニー

意外と深い映画だよ。

A24が放つ、新たなる衝撃作

本作は、新進気鋭の才能であるダイナ・O・プスィッチが監督・脚本を務めた長編デビュー作です。『ミッドサマー』や『ライトハウス』など、既存のジャンルに囚われない視点を提示し続けるA24が制作を手掛け、死を目前にした娘と、その現実を拒絶する母親の姿を鮮烈に描き出しました。主演のジュリア・ルイス=ドレイファスら実力派俳優たちが、極限の状況下で見せる剥き出しの感情は、観る者の胸を打ちます。

根底に流れる、ダークで皮肉な東欧の寓話

監督のダイナ・O・プスィッチは、クロアチアのザグレブ出身です。

本作に直接的に元ネタとなる特定の伝承が存在するわけではありませんが、そこには東欧という土地が育んできた、残酷でいてどこか滑稽な寓話の精神性が色濃く反映されています。

例えば、バルカン半島には「建物を強固にするために、通りかかった人間の影を土台に埋め込む」という、目に見えない魂を事務的に奪い去る大工の伝承があります。また、死神を騙して閉じ込めた男が、誰も死ねなくなった世界の地獄絵図を見て、自ら死神を解放するという皮肉な民話も存在します。死を劇的な悲劇としてではなく、逃れられない不条理な「手続き」として描く。こうした東欧特有のドライなユーモアと冷徹なリアリズムが、あの饒舌な鳥のキャラクター造形に繋がっているのです。



エミール・クストリッツァとの共鳴

この「悲劇の中に狂騒的な幻想を混ぜ込む」手法は、監督が敬愛する巨匠エミール・クストリッツァの世界観とも共鳴しています。

名作『アンダーグラウンド』で見られたような、現実のあまりの苦しさを直視するために、あえて過剰でシュールなフィルターを必要とする作家性は、本作にも確実に受け継がれています。

死という逃れられない運命を、巨大な鳥という圧倒的な異形として提示することで、物語は神話的な奥行きを獲得しました。

死の不在が招く、腐敗した終末

劇中に訪れる終末の光景は、本作で最も衝撃的なシーンの一つです。首と胴体が離れてもなお動き続ける人々や、街を埋め尽くす蠅の群れ。これらは、死という「解放」が失われた世界の無慈悲さを視覚化したものです。

東欧の感性において、死は魂が肉体という器から解き放たれる瞬間でもあります。そのプロセスが阻害されたとき、残るのはただ腐敗し続けるだけの肉体という牢獄です。そしてそれに群がる蠅の群れ。

蠅の羽音という不快なノイズに支配された世界は、正しい死がもたらす「静寂」がいかに慈悲深いものであるかを、逆説的に描き出しています。



あの「鳥」の正体:撮影の裏側

劇中で異彩を放つ「デス(鳥)」の描写には、徹底したこだわりが詰め込まれています。驚くべきことに、この鳥はすべてを最新のVFXに頼ったわけではありません。撮影現場には、精巧に作られた実物大のアニマトロニクス(ロボット)が用意されました。

俳優たちが実際にその重みを感じ、羽の揺れや呼吸を目の当たりにしながら演技をしたことで、あの不気味なほどの生々しさが生まれました。デジタルとアナログのハイブリッドがもたらす物理的な説得力こそが、ファンタジーを現実の延長線上に繋ぎ止めているのです。

タイトル『Tuesday』に込められた皮肉

最後に、原題の『Tuesday(火曜日)』について触れておきましょう。

監督によれば、火曜日は一週間の中で最も特徴がなく、退屈な日の象徴だといいます。

世界が終わるような重大な出来事が、何の変哲もない、ただの平日に突如として訪れる。この日常性の破壊こそが、彼女が描きたかった不条理の極致なのです。


感想

ここから先は、私自身の個人的な感想を綴りたいと思います。

本作を観る前はポスタービジュアルから、奇天烈系のホラーなんだろうなと思っていました。

鑑賞してみると、ヒロインとその母親、死の象徴である鳥までもが、どこかコミカルで明るい。変な映画ではありますが、ホラーという感じではなかったですね。

特に鳥の登場時の娘とのやり取りも滑稽ですが、母親とのやり取りは一層面白い。体当たりで二人とも気を失った上に母親が燃やして食べちゃうのがもう最高。母の強さと、この映画全体を包むどこかお気楽な雰囲気が究極に表れているような気がしました。

しかし、ヒロインの死期が迫っているという事実は揺らがない。

だんだんと、死を拒絶するという一般論から、死体となっても死ねない、大事な人を失うなど、ストーリーを追うごとに希死念慮に変わってくのが非常に面白いです。頼むから死なせてくれ。死なせてくれて有難う。ここまで駆け上がるとは思いもしませんでした。

そして最後の最後。喪失感から母親がどのように向き合うのか。ここもまたいいんですよ。

思いがけず感動する一作でした。


今日の映学

最後までお読みいただきありがとうございます。

『終わりの鳥』は、死を語ることを通じて、逆説的に「今を生きる」ことの重みを問いかけてきます。

東欧の冷徹でいてどこか温かい視点は、私たちがいつか迎える「その日」への向き合い方を、静かに教えてくれているのかもしれません。

bitotabi
bitotabi

油断していると泣いちゃうかもしれませんよ。

ダニー
ダニー

いい意味で裏切られたよね。

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