古き良きアメリカン・ドリームの象徴ともいえる、理想の家庭。温かい我が家、美しい妻、愛らしい子供たち。そんな絵に描いたような幸福を求める男がいました。
しかし、彼の理想はあまりにも強固で、その完璧さから少しでも逸脱する者は容赦なく排除されます。
義理の父親(ステップファーザー)となった男の恐ろしい真実を、義理の娘が少しずつ見抜いていく1987年のサイコスリラー映画『W/ダブル』(原題:The Stepfather)。
この作品は、観客を静かな恐怖の渦へと引き込みます。
主演のテリー・オクィンが演じる、表向きは温厚で優しさに満ちた父親の裏側に潜む狂気は、スタンリー・キューブリック監督の傑作『シャイニング』のジャック・トランスにも通じる不気味さを放っています。

本作は、実際にアメリカで起きた一家惨殺事件から着想を得ており、理想を追い求めるあまりに暴走する人間の心理を深く掘り下げた、忘れられない名作として語り継がれています。

詳しく解説していくよ~。
[作品概要]
1987年に公開された『W/ダブル』は、ジョセフ・ルーベンが監督を務めたサイコ・ホラー・スリラーです。日本では劇場公開されず、ビデオタイトル『W/ダブル』として知られるようになりました。アメリカン・ドリームの光と影をテーマにした本作は、批評家から高い評価を受け、主演のテリー・オクィンは本作で一躍脚光を浴びます。彼の演技は、優しく魅力的な父親と、狂気に満ちた殺人鬼という二面性を完璧に表現しており、本作の成功に大きく貢献しています。続編として『ステップファーザー2/危険な引きこみ』(1989年)、リメイク版として『ステップファーザー 危険な同居人』(2009年)も製作されていますが、多くのファンは1987年版を「オリジナル」として別格の評価を与えています。
[あらすじ]
映画は、血の海に包まれた家庭で、のんびりと一家団欒を楽しんでいるかのように見える男の姿から始まります。彼は何事もなかったかのように血を拭き取り、身だしなみを整え、別の町へと旅立ちます。
その数ヶ月後、彼――改名し、現在はジェリー・ブレイクと名乗る男は、未亡人スーザンと彼女の娘ステファニーの新しい父親として、温かい家庭を築いていました。ジェリーは温厚で、気配りのできる完璧な父親のように振る舞い、ステファニーを愛し、スーザンを大切にします。しかし、ステファニーはジェリーの行動に違和感を覚え始めます。彼の、周囲の目を気にする過剰なまでの完璧主義、そしてふとした瞬間に垣間見える冷たい眼差し。
一方、ジェリーの正体を追う男が現れます。彼はジェリーが前妻と子供たちを殺害した事件の真相を探っており、少しずつジェリーの過去に迫っていきます。そして、ジェリーの行動を不審に思うステファニーもまた、彼の隠された秘密を暴こうとします。
ジェリーは、ステファニーの疑いのまなざしに気づき始め、次第に彼女を排除しようと動き出します。そして、物語の結末は、完璧な家庭を守ろうとするジェリーと、狂気の正体を暴こうとするステファニーの、息詰まる対決へと向かっていきます。
[実際の事件について]
『W/ダブル』の物語は、1971年にアメリカで実際に起きたジョン・リストによる一家惨殺事件から着想を得ています。ジョン・リストは、敬虔なクリスチャンであり、真面目で穏やかな人物として周囲に知られていました。彼は家族に対する責任感が強く、理想的な家庭を築くことを何よりも大切にしていました。

しかし、彼の内面は、理想と現実のギャップに苦しんでいました。職を失い、経済的に困窮する中で、彼は自分の理想とする家族像が崩壊していくのを目の当たりにします。そして、彼は「家族を破滅から救う唯一の方法」として、家族全員を殺害するという恐ろしい決断を下します。彼は母親、妻、そして3人の子供たちを次々と射殺し、その後、自宅から姿を消しました。
この事件が世間に与えた衝撃は大きかったのです。完璧な父親として見られていた人物が、このような残虐な行為に及んだこと、そして犯人が長年行方不明になったことが、人々の記憶に強く刻まれました。ジョン・リストはその後、20年近くもの間、別の町で新しい名前を使い、新しい家族を築いて生活していましたが、1989年に人気テレビ番組『アメリカズ・モスト・ウォンテッド』で取り上げられたことをきっかけに逮捕されます。
『W/ダブル』のジェリー・ブレイクは、このジョン・リストの犯行と心理を巧みに投影しています。理想の家庭像を保つために邪魔な存在を排除する行為、そして別な場所で新しい家族を築こうとする行動は、まさにジョン・リストそのものです。
[テリー・オクィンの演技]
本作がサイコスリラーの傑作として語り継がれる最大の要因は、主演のテリー・オクィンによる見事な演技にあるでしょう。彼が演じるジェリー・ブレイクは、温かく、家族思いで、どこにでもいそうな「良いお父さん」です。しかし、その優しげな笑顔の奥には、わずかなズレや違和感が常に存在します。
例えば、義理の娘であるステファニーが彼に質問を投げかけたとき、ジェリーは一瞬、顔が凍りついたような表情を見せます。そしてすぐに愛想の良い笑顔に戻るのですが、その一瞬の空白に、彼の内面に潜む狂気が垣間見えるのです。完璧な家族を維持しようとする強迫観念が、彼の表情や行動の端々から滲み出ています。
オクィンは、この二面性を完璧に演じ分けることで、観客に「この男は一体何者なんだ?」という疑念を抱かせます。彼の演技は、単なる冷酷な殺人鬼ではなく、理想を求めて精神的に追い詰められていく人間としての葛藤をリアルに表現しています。これが、単なるホラー映画を超えた、心理的な恐怖を生み出すことに成功しているのです。

[ジャック・トランス vs. ジェリー・ブレイク]
『W/ダブル』を観た多くの人が『シャイニング』を想起するのは、単なる偶然ではありません。この二つの作品には、いくつかの共通点が存在します。
まず、主人公たちが「理想の家庭」という強い願望を持っている点です。『シャイニング』のジャック・トランスは、小説家としての成功と父親としての役割を両立させ、完璧な家族の姿を追い求めていました。一方、『W/ダブル』のジェリー・ブレイクは、過去の失敗を繰り返さないために、理想の家庭を完璧な形で築くことに執着しています。
しかし、その理想が崩れそうになったとき、彼らは内なる狂気を露わにします。ジャック・トランスは、閉鎖されたホテルという特殊な環境で次第に精神を蝕まれ、家族を襲います。ジェリー・ブレイクは、自身の過去や正体が暴かれそうになったとき、邪魔な存在を排除しようと画策します。
両者の決定的な違いは、その動機にあるでしょう。『シャイニング』のジャックは、ホテルの超自然的な力に精神を侵食されて狂気に陥ります。彼は「何者かに操られている」というニュアンスが強いのです。対して『W/ダブル』のジェリーは、誰に操られるわけでもなく、自らの強固な「理想」が狂気の源となっています。彼は完璧な父親であろうとするあまり、その理想像から逸脱するものを許せません。彼の狂気は、外部の力ではなく、彼自身の内面から生まれているのです。
この違いこそが、両作のホラーとしての性質を分かつものです。ジャック・トランスの狂気が「超自然的な力によるもの」であるのに対し、ジェリー・ブレイクの狂気は「現実社会に潜む人間の心理」に根ざしています。ゆえに、ジェリーの恐怖はより身近で、現実的なものとして観客に突き刺さるのです。
[劇中の象徴的なシーンに見る狂気]
『W/ダブル』の恐怖は、ジェリーの行動の一つひとつに潜む不気味な象徴性によってさらに深まります。
特に印象的なのは、感謝祭の食事前の祈りのシーンです。一家がテーブルを囲み、穏やかな雰囲気が流れる中、ジェリーは目を閉じ、家族の幸福を願う祈りを捧げます。このシーンは、一見すると理想の父親の姿そのものですが、観客はすでに彼の裏の顔を知っています。敬虔なクリスチャンであり、理想の家庭に固執したジョン・リストと同様、ジェリーもまた、信仰心を盾に自らの行動を正当化しているのです。この祈りは、彼が完璧な家庭を築くという「信仰」のために、邪魔な存在を排除することを「正しいこと」だと信じ込んでいる、その恐ろしい心理を静かに示唆しています。
また、ジェリーが劇中で口笛を吹く曲は、アメリカの国民的作曲家スティーブン・フォスターによって1851年に作られた「故郷の人々」(Old Folks at Home)です。この曲の歌詞には、故郷への強い郷愁と、理想の家庭への憧れが込められています。牧歌的で安らぎに満ちたメロディが、彼が追い求める「完璧な家庭」のイメージを象徴すると同時に、その裏で彼が平然と家族を破壊する姿を際立たせています。この曲は、単なるBGMではなく、ジェリーの狂気と理想への執着を象徴する、重要な要素となっているのです。
そして、もう一つ忘れてはならないのが、外部からの助っ人が即座に排除される展開です。ジェリーが過去に殺害した妻の弟であるジム・オグリヴィーは、姉の死の真相を突き止めるべく、単独でジェリーを追跡します。彼の登場は、孤立無援のステファニーにとって、一筋の光明となるかに見えます。しかし、彼がジェリーの家にたどり着いた直後、あっけなく殺害されてしまうのです。この演出は、『シャイニング』でジャックに殺されるディック・ハロランのシーンとも共通するもので、観客に絶望感を与え、主人公が完全に孤独な状況に置かれていることを強調します。理想の家庭という閉鎖的な空間に潜む狂気には、外部の常識や正義が通用しない、というメッセージも読み取れるでしょう。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
『W/ダブル』は、理想の家庭という「アメリカン・ドリーム」の影の部分を鋭くえぐり出した、社会的なメッセージをはらんだ作品です。温かい家族の象徴であるはずの父親が、その「理想」のために家族を破壊する姿は、観客に深い問いを投げかけます。
テリー・オクィンの恐ろしくも説得力のある演技と、実際の事件が持つ重みが融合したこの作品は、今もなお多くの人々に愛され、語り継がれています。

もしあなたが、表面的な恐怖だけでなく、人間の心理に潜む闇を探求するような映画が好きでしたら、『W/ダブル』は絶対に観るべき一作です。

そして、観終わった後、きっとあなたは、完璧すぎるほどに優しく、完璧すぎるほどに理想的な隣人、家族の姿に、不安を覚えることになると思うよ…。
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