黒澤明監督の作品というと、『七人の侍』や『用心棒』のようなスペクタクル大作を思い浮かべる方が多いかもしれません。
しかし、1950年に公開された『醜聞』は、『野良犬』や『生きものの記録』と並ぶ、社会派ドラマの傑作です。
本作が描くのは、無責任なマスメディアによる人権侵害と、それに対する個人の闘いです。
監督は当時横行していた過剰なジャーナリズムを「言論の自由ではなく、言葉の暴力だ」と強く批判し、その憤りから本作を制作しました。
残念ながら、映画が公開されてから半世紀以上が経過した現代においても、情報の真偽が曖昧なまま拡散されたり、匿名での誹謗中傷が横行したりと、この「言葉の暴力」の問題は形を変えつつも存在し続けています。

ちょっとしたスキャンダルで失速した有名人がたくさんいるよね。

『生きものの記録』が描いた普遍的な不安の解決に至らない淋しさと同じように、本作のテーマも未だに解決を見ません。だからこそ、本作の持つ普遍的なメッセージは、今なお私たちの胸に深く響くのです。
それでは『醜聞』について詳しく解説していきます。
作品概要と主要キャストの魅力
あらすじ:人気画家・青江(三船敏郎)は、オートバイ旅行中に偶然出会った歌手・美也子(山口淑子)を、同じ宿泊先だと知りバイクの後ろに乗せて宿へと向かいます。

その様子を雑誌社のカメラマンに盗撮され、二人が不倫関係にあるかのような虚偽の記事を、ゴシップ雑誌「アムール」に書かれてしまいます。怒りに燃える青江は雑誌社を提訴しますが、そこで担当弁護士として現れたのが、蛭田(志村喬)でした。
三船敏郎演じる青江は、真っ直ぐな正義感を持ち、金銭ではなく尊厳のために闘う、まさしく黒澤作品のヒーロー像を体現しています。青江は、蛭田の結核の娘・正子と出会った際、その清純さに触れ「本当にお星さまみたいな子なんだ」と語りかけるほど、正義感の強い男です。

一方、本作で特に注目すべきは、志村喬演じる蛭田弁護士です。彼は娘の結核治療費のために雑誌社の買収に応じ、依頼人である青江を裏切るという、情けない、弱さを持った男として描かれます。蛭田は、世間の風潮や自身の生活に抗えず、正義を貫けない人間の「弱さ」と「汚れ」の象徴であり、彼を通してこそ、監督のメッセージが観客に深く突き刺さります。物語は、この弱き弁護士の葛藤と再生を中心に展開していきます。

🍻秀逸な名場面:「蛍の光」が示す人間の本質
物語の中盤、裁判で追い詰められ、自己嫌悪に陥る蛭田弁護士が立ち寄った飲み屋でのシーンは、本作のハイライトの一つです。
クリスマスの夜、店内の客たちが涙を流しながら「蛍の光」を合唱する場面は、実に意味深です。彼らは皆、それぞれの人生の別れや、人知れぬ悩み、「汚れ」や「過去」を抱えながら、それでも懸命に生きている人間の姿を表しています。このシーンは、蛭田の心の内に残る人間的な感情を呼び覚まし、彼のその後の行動に大きな影響を与える、非常に印象的な描写となっています。

切なさと救いのラスト:お星さまが生まれる瞬間
結末は、人間の性善説的な希望を感じさせる展開となります。
蛭田は、結核の娘を救うための金銭欲と、弁護士としての良心との間で激しく引き裂かれ、ついには娘を失うという大きな悲劇に見舞われます。この自身の弱さから生じた苦悩を経て、彼は最後の瞬間に「人間の尊厳」を守るための決断を下します。それは、雑誌社に対する不正の告発という形で、切ないながらも大きな感動と救いを私たちにもたらすものです。

そして、すべての闘いを終えた青江が、夜空を見上げながらつぶやく「俺達は生まれて初めてお星さまが生まれるところを見たんだ」というセリフに、物語のメッセージは集約されています。
このセリフは、青江が以前蛭田の娘を「お星さまみたいな子」と呼んだことへの見事な伏線回収です。娘という清らかな「星」が消えた悲劇を経て、父である蛭田の心の中に「良心」という新しいお星さま(希望の光)が生まれた。闇の中にこそ光を見つけ、人間の心に希望を見出すという、黒澤監督の強いヒューマニズムに満ちた結びの言葉なのです。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
『醜聞』は、社会の不正に対する怒りを描くと同時に、人間の弱さ、そしてそこからの再生という、普遍的で深遠なテーマを私たちに投げかけてきます。
現代社会に生きる私たちにとって、「言葉の力」の重さや、「個人の尊厳」を守ることの意義を改めて深く考えさせてくれる、まさに「今」観るべき黒澤映画と言えるでしょう。

スキャンダルを暴くのは、全てが間違ったものだとは思いません。政治の不正を暴くのはむしろ正義だと言えます。しかし、対象や時と場合によっては、それはあまりにも容赦ない暴力となる。これは悲しいかな現代の方が加速しているように思いますね。

こういう映画、現代でもあるといいよね。『横顔』なんかは面白いし、逆に正義のジャーナリズムを描いた『新聞記者』やドラマ『エルピス』もおすすめだよ。
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