黒澤明監督の『蜘蛛巣城』は、シェイクスピアの戯曲『マクベス』を日本の時代劇に置き換えただけの作品ではありません。
その評価の高さは、原作の核となる二つの有名な「言葉のトリック(どんでん返し)」のうち、一つを排除し、もう一つを解釈し直したという、大胆な革新性にあると言えます。

マクベスにおける最大の面白みであるラストのどんでん返しを封じてなお、高い評価を受ける『蜘蛛巣城』。この凄さについて語っていきます。

まずは『マクベス』がどんなお話なのか説明するよ~。
題材となった戯曲『マクベス』の物語
本作の題材となったシェイクスピアの四大悲劇の一つ『マクベス』は、スコットランドの勇猛な将軍マクベスが、魔女たちから「コーダーの領主(領地とその爵位)になり、やがては王になる」という予言を受けることから始まります。

予言の一部がすぐに現実となったことで、マクベスは王座への野心を燃やします。さらに、マクベス夫人(『蜘蛛巣城』の浅茅にあたる存在)は、夫を臆病者だと罵り、王殺しを決行するよう執拗にそそのかします。

王殺しの罪を犯したマクベスは、予言の実現のために次々と悪行を重ね、暴君となります。やがて、彼は魔女たちから「森が動かない限り倒されない」「女の股から生まれた者に傷つけられることはない」という二つの言葉を受け、これを絶対的な安泰の予言だと信じ込みます。
しかし、最後は森が動くように見え、そして「帝王切開で生まれた」敵将マクダフによって討ち取られ、悲劇的な最期を迎えます。
予言の核心である「言葉のトリック」の排除
原作『マクベス』において、マクベスを安心させる予言は二つありました。
一つは「バーナムの森が動かない限り、おまえは安泰だ」というもの、そしてもう一つが、「女の股から生まれた者は、誰もマクベスを傷つけることはない」という予言です。
『蜘蛛巣城』では、このうち「バーナムの森」の予言を、「蜘蛛手の森が、この城に寄せて来ぬ限り、貴方様は戦に敗れることはない」という形で原作の構造を踏襲しています。
しかし、マクベスを破滅させる決め手となる、有名な「出生に関わる予言」(帝王切開で生まれた者による討伐)の要素は完全に排除し、代わりに「三木義明は一の砦の大将になり、その子義明は後に蜘蛛巣城の城主になる」という予言をしています。
これにより、観客の関心は「予言の謎解き」から「武時がどのように運命に翻弄され破滅するか」、「三木の子が如何にして後の城主となるのか」という、より普遍的な人間の宿命へと向けられることになりました。

予言を「宿命」として描く日本的解釈
原作における予言は、マクベスが自らの自由意志で行動を選ぶための「きっかけ」でしたが、『蜘蛛巣城』では、もののけの予言は武時がどうあがいても逃れられない「動かしがたい宿命」として描かれています。
武時が背負うムカデ(百足)の旗印が象徴するように、彼は「決して退かない=前進しかできない」という武将の性(さが)により、野心という名の一直線の道を進まざるを得ませんでした。この「宿命論」的な視点が、西洋の倫理観とは異なる、東洋的な悲劇の重みを作品に与えています。

「映画的迫力」による結末の昇華
言葉のトリックを排した代わりに、黒澤監督は結末に圧倒的な視覚的迫力を投入しました。
武時が迎える最期は、原作のような一対一の剣劇による決着ではなく、激昂した家臣団による無数の矢によって射抜かれるという、極めて苛烈なものです。
撮影では、大学の弓道部の協力を得て、三船に向けて実際に矢を射るという危険な手法が取られ、究極のリアリティと緊迫感が生まれました。

この「動く森」の視覚的実現と、矢が首を貫く鮮烈な瞬間は、言葉に頼らない純粋な映画表現として、観客の心に恐怖と戦慄を焼き付け、本作を映画史に残る傑作へと押し上げました。

受賞歴と国内外の評価
『蜘蛛巣城』は、この大胆な革新性によって公開当初から国内外で高い評価を獲得しました。
特に、ヴェネツィア国際映画祭への出品や、ニューヨーク映画批評家協会賞での最優秀外国語映画賞受賞など、西洋の古典を見事に東洋の様式に昇華させた作品として世界的に認められています。シェイクスピアの翻案作品の中でも最高傑作の一つと位置づけられています。
『マクベス』は、1900年代初頭から現代に至るまで、オーソン・ウェルズ版(1948年)、ロマン・ポランスキー版(1971年)、ジャスティン・カーゼル版(2015年)、ジョエル・コーエン版(2021年)など、数多くの名監督により繰り返し映画化されてきました。その錚々たる作品群の中で、『蜘蛛巣城』が常に傑出した評価を得続けている点が、本作の革新性と完成度の高さを証明しています。後世の映画監督や演劇界にも多大な影響を与え続けています。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
黒澤明監督は、『マクベス』の核となる普遍的なテーマ(野心と破滅)を保ちながら、予言のトリックを排除し、日本の戦国時代の「宿命」と「様式美」を注入することで、この古典をまったく新しい芸術作品へと昇華させました。

数ある翻案作品の中で『蜘蛛巣城』が特別な地位を占めるのは、単なる忠実な再現ではなく、原作の精神を掴みつつ、それを「黒澤明の映画」として再創造した、この大胆な挑戦の成功に他なりません。

もう一つ見逃せない「能の様式美」についても他の記事で解説しているよ~。
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