『霧のごとく』を観て思う。寛容さと勇敢さを併せ持っていたい。今こそ。

ドラマ映画

第62回金馬奨で最優秀作品賞を含む4部門を受賞し、台湾国内でも大ヒットを記録しているチェン・ユーシュン監督の最新作『霧のごとく』をご紹介します。

これまで『熱帯魚』や『1秒先の彼女』など、ユーモラスで温かみのあるコメディ作品で私たちを楽しませてくれた監督が、本作では1950年代の「白色テロ」という台湾の暗黒時代に正面から挑みました。重厚なテーマの中に感動と、時折クスッと笑えるユーモアが巧みに織り込まれた、新たな境地を感じさせる傑作です。

台湾の歴史や、そこに暮らす人々の複雑なルーツを知ることで、この映画の深みがより一層理解できるようになるはずです。

bitotabi
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今回は、作品の概要やあらすじを整理しつつ、映画を観る上で知っておきたいポイントや疑問点について分かりやすく解説していきます。

ダニー
ダニー

結末に関するネタバレはないから、まだ観てない人も安心して読んでね!

作品概要

本作は、台湾映画界最高峰の映画賞である第62回金馬奨にて最多11部門にノミネートされ、最優秀作品賞、最優秀脚本賞、最優秀美術賞、最優秀衣装デザイン賞の4部門を受賞し、大きな注目を集めました。

2025年11月に公開されて以来、台湾国内での興行収入は約5億円を突破する大ヒットを記録しています。金馬奨で最優秀作品賞を受賞し、これほどの興行収入を挙げた台湾映画としては、歴代の『グリーン・デスティニー』『ラスト、コーション』『セデック・バレ』に次ぐ快挙を成し遂げました。

ヒットメーカーであるチェン・ユーシュン監督が、従来の人間描写をさらに進化させながら、多くの市民が反政府と疑われて逮捕・処刑された「白色テロ」の時代を真正面から描き出し、希望と再生の物語を紡ぎ出しています。

あらすじ

物語の舞台は、戦後間もない1950年代、戒厳令下の台湾。 白色テロにより反政府分子として捕らえられた兄が台北で処刑されたことを知った少女・阿月(アグェー)は、故郷の嘉義(カギ)から、なけなしのお金と兄の形見の時計を手に、遺体を引き取るため一人で台北へ向かいます。

しかし、当時の台北で遺体を引き取るには高額な手数料が必要で、彼女は途方に暮れてしまいます。そればかりか、怪しい男に騙されて売春宿に売り飛ばされそうになってしまうのです。そんな絶体絶命の彼女を救ったのが、人力車の車夫として働く青年、趙公道(ザオ・ゴンダオ)でした。

中国の広東出身である公道は、国民党軍の元軍人として台湾に渡って以来、故郷へ帰ることも叶わず、その日暮らしの生活を送っていました。白色テロによって軍の仲間を喪い、人生の行き場を見失っていた彼は、阿月の強い想いに心を動かされ、彼女に手を差し伸べることを決意します。

時代の激流の中で出会った、心に深い傷を抱える二人の運命が、ここから大きく動き出していきます。



映画の背景を知る:よくある疑問点を解説

ここからは、映画の根底にある歴史の仕組みや、気になったポイントについて分かりやすく紐解いていきましょう。

そもそも「戒厳令」と「白色テロ」ってなに?

映画の緊迫感を生み出しているこの2つの言葉は、当時の台湾を支配していた「恐怖のルール」そのものです。

  • 戒厳令(かいげんれい)とは 戦争や国家の危機に際して、憲法などの法律を一時的にストップし、軍隊がすべての政治や裁判、警察の権力を握る仕組みのことです。当時の台湾では、夜間の外出禁止(夜間外出禁止令)や、集会・言論・出版の自由の制限、さらには政府の批判をすることが完全に禁止されました。つまり、「国がずっと戦争中のような厳戒態勢をとっていた」ということです。
  • 白色テロとは この戒厳令のもとで、国家権力(当時は蒋介石率いる国民党政権)が、反政府的な思想を持つ人やスパイと疑われた市民を、容赦なく逮捕・投獄・処刑した一連の政治的弾圧のことです。「白色」とは、左派(赤)に対抗する保守・右派の権力を指す言葉に由来しています。密告が奨励されたため、無実の罪で命を落としたり、何年も刑務所に送られたりする人々が後を絶たない暗黒の時代でした。

劇中のロケーションはどこ?

物語は、阿月の故郷である台湾南部の都市「嘉義(カギ)」から始まり、そこから北上した「台北(タイペイ)」へと舞台が移ります。 嘉義は日本統治時代から林業などで栄えた歴史ある街であり、台北は政治と激動の中心地でした。この南部から北部への移動そのものが、当時の地方と都市部の格差や、孤独な旅の過酷さを際立たせています。

当時の「1000元」の価値はどれくらい?

劇中で遺体を引き取るために要求される高額な手数料など、当時のお金の価値は現在の感覚とは大きく異なります。 1950年代の台湾は、激しいインフレーションを経て「新台湾ドル(ニュータイワンドル)」が導入された直後の時期にあたります。当時の庶民の月収が数十元から多くて100元程度だった時代背景を考えると、1000元という大金は、一般の労働者が1年近く働いても到底手の届かないような、まさに一般市民を絶望させるほどの超高額な金額だったと言えます。

趙公道(ザオ・ゴンダオ)のルーツと、行っていた戦争とは?

車夫の公道は「中国・広東出身の国民党軍の元軍人」というルーツを持っています。彼が戦っていたのは、中国大陸での「国共内戦(国民党と共産党の戦い)」です。 この内戦に敗れた蒋介石率いる国民党軍とともに、多くの軍人やその家族(のちに「外省人(がいしょうじん)」と呼ばれる人々)が台湾へと渡ってきました。公道もその一人です。

ここで重要なのは、白色テロの被害者は台湾に元から住んでいた人々(本島人/内省人(ないしょうじん))だけではなかったという点です。公道のように、大陸から渡ってきた国民党の軍人や知識人であっても、少しでも共産党のスパイだと疑われれば、容赦なく逮捕・処刑されました。公道が「軍の仲間を喪った」と語るのは、身内であるはずの国民党政権によって仲間が粛清された悲劇を指しています。

1987年:38年間に及ぶ戒厳令の解除

映画の背景にある「戒厳令」は、1949年から1987年まで、なんと38年もの間続きました。これは世界でも最長クラスの戒厳令期間です。この間、人々の言論の自由は奪われ、不当な逮捕や処刑が日常の裏に潜んでいました。1987年7月にようやくこの戒厳令が解除されたことで、台湾は長い暗闇から民主化への道を歩み始めることになります。



劇中の印象的な言葉と見どころ

本作では、登場人物たちのセリフや作中の描写に、深いメッセージが込められています。

  • 「覚えておくんだ 将来何があっても 勇敢でいろ 俺達は何もないが 勇気だけはある」 何もない庶民が、あまりにも巨大で理不尽な国家権力や時代の激流に立ち向かうための、唯一の武器が「勇気」でした。この言葉は、過酷な時代を生き抜いた人々の魂の叫びのようであり、観る者の胸を激しく揺さぶります。
  • 景色=歴史。誰もがみんな景色の一部だ 劇中で描かれる台湾の景色は、そのまま血と涙が流された歴史の舞台でもあります。私たちが今見ている景色には、かつてそこで必死に生きた名もなき人々が刻まれており、私たち自身もまた、これからの歴史を作る景色の一部なのだということに気づかされます。
  • 雲になりたかったが、霧として消え去ってしまった 自由に空を飛び回る「雲」のような未来を夢見ながらも、時代の冷たい空気の中で実を結ぶことなく、誰にも知られずに「霧」のように消されていった多くの命。邦題の『霧のごとく』が持つ、儚くも悲痛な意味がこの言葉に集約されています。
  • 原題『大濛(ダーモン)』が意味する深い濃霧作中で象徴的に使われる言葉ですが、実はこの作品の原題こそが『大濛』です。大濛には「一歩先も見えなくなるほどの、もの凄く深い濃霧」という意味があります。それは個人の力ではどうしようもない、先の見えない「時代の暗闇」そのものを表しており、社会全体を包み込んでいた圧倒的な恐怖を暗喩しています。邦題の『霧のごとく』が静かに消え去る命の儚さを表しているのに対し、原題の『大濛』は、彼らを遮り、行く手を阻んだ時代の底知れない暗さを突きつけてくる、非常に象徴的な言葉です。

豆知識

劇中に登場する食べ物

劇中には焼餅(シャオビン)や油条(ヨウティアオ)も登場しますが、この台湾で今では定番となっている朝食の組み合わせも、戦後の時代に徐々に形作られていきました。当時の台湾人の朝食は、お粥やさつまいも粥が中心でした。
焼餅は主に中国北方の小麦文化に由来し、一方で油条は南方に起源を持つ食べ物です。この二つを組み合わせ、さらに豆漿(豆乳)とともに提供する食文化を広めたのは、戦後台湾に渡ってきた元兵士たちが、生計を立てるために始めた商売でした。
また、劇中で油条を揚げている店主が山東出身という設定も、巧みなオマージュかもしれません。というのも、「永和豆漿の父」と呼ばれる李雲増も、山東出身の退役軍人だったからです。

台湾のアルセーヌ・ルパン高金鐘

映画に登場する高金鐘(リウ・グァンティン演じる)も実在の人物で、1950〜60年代の台湾で最も有名な伝説的怪盗でした。

「台湾のアルセーヌ・ルパン」あるいは「飛賊」とも呼ばれ、神出鬼没の脱獄術で知られています。彼は何度も脱獄に成功し、当時の警察の面目を潰しました。
その事件は当時の新聞で大々的に報じられ、誰もが知る社会的な怪事件の人物となりました。そして最後に蘭嶼から脱獄し、その後行方不明になったというのも実話です。
監督はこの実在した時代の人物を物語に取り入れることで、ブラックユーモアを加えると同時に、映画を当時の混乱した社会背景と結びつけています。

今日の映学:ラベルを超えて、未来を勇敢に生きるために

最後までお読みいただきありがとうございます。

『霧のごとく』という作品を観終えたとき、私たちの心に残るのは、過去の悲劇への痛みだけではありません。それは、これからの時代をどう生きていくかという、温かくも強いメッセージです。

劇中では、台湾に元から住んでいた「内省人」の阿月と、大陸から渡ってきた「外省人」の公道という、本来なら交わるはずのなかった二人が出会います。私たちはつい、歴史の枠組みや社会的な「ラベル」で人を判断してしまいがちです。しかし、誰もが自分の出生を自ら操ることなどできません。生まれ落ちた場所で、それぞれが懸命に自分の人生を生き、異なる考え方や個性を持っているのが当たり前なのです。

大切なのは、そうした互いの違いを認め合い、ラベルに囚われずに寄り添う「寛容さ」を持つことではないでしょうか。

そしてこれは、決して遠い国の過去の話だけではありません。私たちの生きる日本も今、これからどのような方向に舵を取っていくか分からない、大きな流れの節目にあります。変化の激しい激流のような時代だからこそ、周囲に流されることなく、自分の想いをしっかりと大切にして勇敢な態度でいることが求められています。

しかし同時に、頑なになりすぎるのではなく、一度落ち着いて、寛容な心で様々な可能性をフラットに考えてみることも同じくらい大切なはずです。

bitotabi
bitotabi

いつの時代であっても、理不尽な運命や激流に押し流されそうになったとき、自分の足で立ち続ける「勇敢さ」と、他者を受け入れる「寛容さ」を忘れないこと。異なるルーツを持つ二人が手を取り合う『霧のごとく』は、私たちにそんな生き方の道標を示してくれているように思えます。

ダニー
ダニー

重い歴史を背景にしながらも、最後には温かな希望をくれる本作を、ぜひみなさんも鑑賞してみてください。

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