「意味不明すぎて、観るのをやめようかと思った」
そう感じたなら、あなたは監督の術中に完全にはまっています。
この映画は、パズルを解くように観るものではありません。実は、ある一人の老人が死の直前に見ている「あまりにも惨めで、切ない妄想」を覗き見しているだけなのです。

「結局どういうこと?」と混乱している方のために、この物語の正体を3つのポイントで解説します。

僕もさっぱり分かんなかったよ…
1. 「現実」はたった一ヵ所だけ
この映画で「現実」として起きているのは、「孤独な老いた用務員が、学校の駐車場に停めた車の中で、凍死しようとしている」という一点のみです。
それ以外のシーン(ドライブ、実家への帰省、彼女との会話)はすべて、彼が死ぬ間際に見ている「壮大なひとり言(妄想)」。つまり、人生の最後に脳内で再生された「走馬灯」のようなものです。
2. 「彼女」は存在しない
ヒロインのルーシーは実在しません。 正体は、老いた用務員が若い頃にバーで見かけただけの「名前も知らない他人」です。彼は死ぬ間際に、「もしあの時、あの女性に声をかけて付き合っていたら……」という「もしもの世界」を脳内で再生しているに過ぎません。
だから彼女の名前や職業はコロコロ変わります。彼女が知識をひけらかすようなストレスフルな会話をするのも、彼女自身に人格はなく、単に「ジェイクが読んできた本の知識」を喋らせている人形だからです。
3. 人生の最期さえも「映画のパクリ」
ジェイクは自分の人生を空っぽだと感じていたため、妄想を埋めるために大好きだった映画や舞台の記憶を引用します。
- 突然のミュージカル: 学校でのダンスシーンは、名作『オクラホマ!』のパロディです。理想の自分(美男美女のダンサー)が、現実の自分(汚れた用務員)に殺されるという悲劇を、憧れの舞台の形で表現しました。

- ラストのノーベル賞授賞式: これは映画『ビューティフル・マインド』のラストシーンをそのまま真似たものです。「雑な老け顔メイク」も、本物の映画を素人が模倣したような「作り物感」をあえて出すための演出です。

結局、ラストはどうなった?
彼は誰にも看取られず、裸で車の中で凍死します。 ラスト、彼がノーベル賞を受賞して拍手喝采を浴びるのは、「こうなりたかったという究極の願望」を名作映画の力を借りて再現しただけでした。
タイトルの『もう終わりにしよう。』とは、彼女のセリフではなく、絶望した老ジェイクが自分の人生を終わらせる決意の言葉だったのです。
今日の映学(感想)
最後までお読みいただきありがとうございます。
この映画、結局は孤独に年老いた男性の終末を見せつけられただけなんですね。
これ、映画好きの独身者には結構キツイ。
私もこんな風になっちゃうのかな…。これって幸せなんだろうか…。
そんな不安を強く覚える作品。そこに監督の皮肉もこもっているような気がしてなりません。究極の悪ふざけって感じ。ちなみに監督のチャーリー・カウフマンは結婚して子どもも二人いるそうです。原作者のイアン・リードは不明。しかしながら、彼の妹はファーストレディで、義理の兄は元アイスランド大統領、兄弟はCEOという、なんとも奥行きのある感じです。

有閑な自分への戒めとして作ったのか、それとも皮肉っただけなのか…。

とにかくゾッとするぜ。
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