スティーブン・キングがリチャード・バックマン名義で発表した小説『ザ・ロング・ウォーク』が、ついに映画化されました。
フィリップ・シーモア・ホフマンの息子、クーパー・ホフマンが主演を務めるこの作品は、その過酷な設定と深いテーマで観る者に強烈な印象を与えます。
「なぜ彼らは、命をかけて歩き続けるのか?」
この問いは、映画を観た多くの人が抱く疑問でしょう。

なかなか攻めた映画です。

結末に関するネタバレはなしで解説していくよ~。
1. 作品概要
- 公開年: 2025年
- 監督: フランシス・ローレンス
- 脚本: フランク・ダーラボン
- 原作: スティーブン・キング(リチャード・バックマン名義)『ザ・ロング・ウォーク』
- キャスト: クーパー・ホフマン、ローマン・グリフィン・デイヴィス、デヴィッド・ジョンソン、マーク・ハミル、アダム・ブロディ ほか
- あらすじ: 全体主義国家が支配する近未来。毎年開催される、100人の少年が参加する「ザ・ロング・ウォーク」は、ただひたすら歩き続けるという命がけのデスゲームだ。立ち止まったり、速度が落ちたりすると警告を受け、3度警告を受けると処刑される。最後まで生き残ったたった一人の勝者には、生涯にわたる富と自由が約束される。
2. 「歩く」という究極のデスゲーム
物語の舞台は、圧制的な政府が支配するディストピア。毎年、選ばれた100人の少年たちが「ザ・ロング・ウォーク」という行進に参加します。ルールはシンプル。ただひたすら歩き続けること。規定の速度より遅くなったり、止まったりすると警告を受け、3回の警告で「チケットを切られ」、その場で処刑されます。最後まで歩き続けたたった一人だけが、生涯にわたる富と自由を手にします。
この行進は、国家による見せしめと支配の象徴です。国民を政治から遠ざけるための娯楽であり、体制に逆らえばどうなるかという冷酷なメッセージでもあります。

3. 生き残るための「矛盾した」友情
一人しか生き残れないという非情なルールにもかかわらず、少年たちは互いに助け合い、支え合います。これは、一見すると矛盾しているように見えますが、そこには極限状態に置かれた人間の複雑な心理が隠されています。
- 精神的な支え: 死の恐怖と孤独に耐えるため、彼らは互いに会話を交わし、過去の出来事を語り合います。それは、人間としての尊厳を保つための本能的な行為です。
- 相互扶助という戦略: 疲労で倒れそうな仲間を助けることは、いずれ自分が助けを必要としたときに返してもらえるかもしれないという希望につながります。彼らは同じ運命を背負った者同士、無意識のうちに「チーム」としての連帯感を築き上げていくのです。

4. 名優たちが彩る、深く重い世界観
本作は、若手からベテランまで、実力派の俳優陣が揃っている点でも注目されています。

- 主人公レイモンド・ギャラティを演じるのは、名優の息子であるクーパー・ホフマン。彼の繊細かつ力強い演技は、観客を主人公の苦悩に引き込みます。
- 『ジョジョ・ラビット』での演技が記憶に新しいローマン・グリフィン・デイヴィスや、
- デヴィッド・ジョンソンも、主要なキャラクターであるマクヴリーズを演じ、原作のファンが持つキャラクターのイメージを大切にしつつ、説得力のある演技で物語に深みを与えています。
- 『スター・ウォーズ』のルーク・スカイウォーカーとして知られるマーク・ハミルが、物語の鍵を握る少佐役を演じています。

5. 私たちはなぜ彼らに感情移入するのか
『ザ・ロング・ウォーク』の真のテーマは、人間の「持久力」です。
なぜ人は、不条理な現実に耐えて生きようとするのか? なぜ、誰もが歩みを止めたいと願う中で、それでも前へ進もうとするのか? 少年たちの姿は、人生における苦闘や困難を象徴しているとも言えます。
彼らが歩き続ける姿は、観る者自身の「人生」を問いかけているのかもしれません。私たちは、この絶望的な行進に、自分自身の姿を重ね合わせてしまうからこそ、深く心を揺さぶられるのです。

感想
筆者が本作を観た感想ですが、まずこの世界観に入り切れるかどうかがポイントかなと思います。
この一見あり得ない設定のイベントをうまく飲み込めるかどうか、そしてそこに入ってくるスティーブン・キング節。つまり感動的なドラマ要素ですね。
ぶっちゃけちょっと「ありえね~」とか「人間ここまで美しくないよ」とか、「どうせ勝てなきゃ死ぬんだから、俺もこの嫌なやつと同じ感じになっちゃいそう」とか思ってしまうわけです。キングは心が綺麗すぎる笑
あと、スティーブン・キング原作映画によくあることですが、キングに気を使いすぎるあまり、よく分からない演出が度々あるというのは気になりました。よく分かんなかったけど、多分、原作では重要なんだろうなみたいな。
最後に、あり得ない設定と言いましたが、「若い男性だけ」がこのイベントに集められるあたり、戦争や独裁的、管理主義的な国家に対するアンチテーゼが込められているんだろうなと感じました。極限の状態では、人はおかしくなっていくよ。また、観ている私たち鑑賞者も、作品の中の世界の視聴者と同じわけで、どんどん死に対して鈍麻していくのは面白いし、チャレンジングな映画だなと思います。
よくある金持が命の奪い合いを楽しんで観ているという設定を、より没入できるように仕上げているのではないかなと。
そして、生き残りをかけたデスゲームの中に合って、参加者たちが助け合うという、一見矛盾した描写も、そこに繋がっているのではないかと思います。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
この物語が描くのは、過酷な状況下でも失われない人間の尊厳と、絶望の先にあるかすかな希望です。

そして、この奇抜な設定を映像化して公開することに、どんなメッセージがあるのか、それをぜひ汲み取っていただきたいですね。

どうして参加者たちが助け合うのかにも注目だね。
X(旧Twitter)はこちら
https://twitter.com/bit0tabi
Instagramはこちら
https://www.instagram.com/bit0tabi/
Facebookはこちら
https://www.facebook.com/bit0tabi/
noteはこちら
https://note.com/bit0tabi
コメント