『エディントンへようこそ』にみる「征服者」の系譜――白人の正義と、タイで抱く居たたまれなさ

映画

エディントンへようこそ』を観ていて、最も居心地の悪さを感じたのは、その「正義の二重構造」です。

映画の舞台となるエディントンは、アメリカのどこにでもある田舎町として描かれますが、そこはかつて先住民から武力で奪い取った土地です。

その血塗られた歴史の上に立ちながら、白人の住人たちが黒人の権利(Black Lives Matter)を声高に叫び、自分たちの正義に酔いしれている。この構図には、アリ・アスター監督の極めて冷徹な揶揄が込められています。

自分たちが「収奪者の末裔」であることを棚に上げ、弱者の味方を自称することで自己を正当化する――その欺瞞が、スクリーン全体から滲み出していました。

bitotabi
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今回の記事では、『エディントンへようこそ』を鑑賞して覚えた、私自身の生活についても述べていきます。いま海外で暮らす私のリアルな感想です。

ダニー
ダニー

えー、アメリカじゃなくても感じるの?

タイで感じる「居たたまれなさ」

この映画が描く「無自覚な特権階級の振る舞い」は、私にとって決して他人事ではありませんでした。私は現在、タイの日本人が多く住むエリアで生活していますが、ここでの暮らしもまた、映画の中の白人たちと同じような「居たたまれなさ」を孕んでいると感じることがあります。

経済的な格差を背景に、タイの土地や文化を尊重するよりも先に、自分たち日本人のルールや利便性を持ち込み、それを当たり前のように享受する。現地の生活圏に深く入り込んでいながら、心のどこかでは「ゲスト」ではなく「支配的なコミュニティの一員」として振る舞ってしまう。映画の中で描かれる、歴史的矛盾を抱えたまま正義を叫ぶ白人たちの姿は、そのまま海外で暮らす私たちの鏡のように見えました。

bitotabi
bitotabi

正直、アジアにある日本人街のデザインやそこで楽しむ人々の品の無さは、苦手です。

「正義に酔う」という名の新しい侵略

劇中のキャラクターたちが、マイノリティの権利を守ることを大々的に述べる様子は、一見すれば善意に満ちています。しかし、その「善意」は、実は自分たちがこの土地を支配しているという事実から目を逸らすための、精神的な防壁ではないでしょうか。

かつての先住民への虐殺と土地の収奪。その上に築かれた平穏な生活を守るために、現代的な「ポリコレ(政治的正しさ)」という免罪符を求めている。この「正義に酔っている感じ」を完璧にパロディ化してみせた本作は、観る者の心に深いトゲを突き刺します。

この映画ではBLMを強く主張する若者たちが描かれますが、先住民については何も声をあげない。この無知や浅はかさ、そして自己陶酔感こそが、この映画の最も面白い部分かもしれません。

今日の映学

最後までお読みいただきありがとうございます。

アリ・アスターが本作で暴いたのは、特定の国や人種の問題だけではありません。自分たちの非を認めずに、新しい正義を上書きすることで保身を図る。

それは、海外で暮らす日本人である私が抱える違和感とも地続きの問題だと感じました。

エディントンという架空の町が突きつける問いは、今まさに特権的な環境に身を置くすべての人々に向けられています。

私たちは、自分が立っている土地の歴史を直視できているでしょうか。

bitotabi
bitotabi

2020年から2040年くらいまでは、移住、移民が世界的なキーワードになってくるはずなので、こういった意識に気づくことが出来る本作はなかなか貴重だと言えるでしょう。

ダニー
ダニー

ただのヘンな映画じゃなかったのか…。

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