エンドロール今昔物語—クレジットはいかにして「映画の顔」となったのか—

映画

映画を観終わった後、劇場が明るくなるまで、流れる音楽とともに席で眺めるエンドロール。

現代の作品では、数分、ときには10分以上にもわたって続く長いクレジットが一般的ですが、白黒映画や古い時代の邦画・洋画のほとんどには、このエンドロールが存在しませんでした。

製作や脚本、キャスト、そして監督などは、映画のはじめに紹介されるのが一般的だったのです。

bitotabi
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一体、いつ、どのようにして、この「クレジット」は映画の最後に移動し、長くなっていったのでしょうか。

ダニー
ダニー

その背景には、映画製作の歴史と、スタッフの権利意識の大きな変化があったんだって。

1. 冒頭クレジットが主流だった時代

かつて、映画製作の初期から1960年代頃までは、主要なスタッフやキャストの紹介は、本編が始まる「冒頭クレジット」で簡潔に行われるのが主流でした。

これは、観客が劇場に入り、席についてから映画が始まるまでの間に、主要な情報だけを素早く伝えるためのものでした。

裏方のスタッフの名前は、製作会社の意向で割愛されることも多かったのです。



2. エンドロール誕生のきっかけと長大化の理由

エンドロールが本編の後にまとめて流れる形式へと変化し、長大化していったのは、主に1960年代後半から1970年代にかけてです。

【エンドロール長大化の主な要因】

  • 製作体制の複雑化と分業化:
    • VFXやCG技術の登場、大作化の進展により、映画製作に関わるスタッフの総数が飛躍的に増加しました。美術、録音、CGクリエイターなど、細分化された部門の全員をクレジットする必要が生じました。
  • スタッフの権利意識の高まりと演出上の決断:
    • この時期から、特に裏方として働くスタッフ一人ひとりの功績を正式に記録し、称えるべきという権利意識が強くなりました。
    • 特にジョージ・ルーカス監督の『アメリカン・グラフィティ』(1973年)は、エンドロールを定着させる上で画期的な役割を果たしました。ルーカス監督は、「冒頭から物語に没入させる」という演出上の理由から、冒頭クレジットを排し、全てのクレジットを本編の終了後にまとめて流すという手法を採用しました。これにより、関わった全てのスタッフの名前を網羅した異例に長いエンドロールが誕生し、後の映画製作に大きな影響を与えたと言われています。

今日の映学

最後までお読みいただきありがとうございます。

bitotabi
bitotabi

エンドロールのはじまりとその理由について解説しました。

ダニー
ダニー

現代のエンドロールは、映画を完成させた全ての製作陣の努力の証明として、映画の最後に流れることが定着したんだね。

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