日本ホラーがなぜ世界中の人々を震え上がらせるのか。
その鍵は、幽霊や怪物そのものの恐怖だけではなく、「呪い」という独特な概念に隠されています。
この呪いには、大きく分けて二つのタイプが存在します。
一つは、特定の場所に憑き、関わった人すべてを容赦なく襲う「無差別の呪い」。
もう一つは、親の罪が子孫を苦しめる、逃れられない「因果の呪い」です。

この記事では、日本の古典的な怪談から現代のホラー映画まで、この二つの呪いの歴史と変遷を読み解いていきましょう。

まずは「土着の呪い」から…!
第一章:すべてを飲み込む「土着の呪い」
この呪いは、特定の場所に怨念が根付き、その場所に関わった者すべてを容赦なく襲うのが特徴です。被害者の悪行や血筋といった因果関係は一切ありません。ただそこにいた、それだけの理由で命を奪われるという理不尽な恐怖を描いています。
その原点と言えるのが、平将門の怨霊です。平安時代に討ち取られた将門は、その強大な怨念が特定の場所(将門塚)に憑き、関わる者すべてを無差別に呪い殺すという伝説が生まれました。これは、個人の恨みを超え、国家をも揺るがすほどの巨大な怨念が「土地」に根付いた、いわば「土地の呪い」の原型です。
また、『番町皿屋敷』のお菊もこのタイプに通じます。無実の罪で殺されたお菊の怨念は、特定の場所である井戸に縛られ、夜な夜な現れて皿を数える恐怖をまき散らしました。彼女は、特定の誰かを狙うだけでなく、その井戸に関わる人々すべてに恐怖を与えたのです。
そして、この土着の呪いは、2000年代に『呪怨』として現代に蘇ります。この作品の呪いは、将門の伝説のように特定の場所に憑く点は同じですが、その場所が「家」というプライベートな空間であることに新しさがありました。佐伯家で起きた凄惨な事件が、家そのものを呪いの塊に変え、そこに足を踏み入れた者すべてを無差別に襲います。そこには血縁も特別な因果もなく、家に入ったという日常の些細な行動が命を奪うトリガーとなるのです。
さらに、現代における「土着の呪い」は、特定の家だけではありません。口裂け女やコトリバコといった都市伝説もまた、特定の因果なく人々を恐怖に陥れる、現代版の「無差別の呪い」と言えるでしょう。これらは、人々の間で口コミやインターネットを通じて広まり、その伝染性という点で、『呪怨』の恐怖と共通しています。
第二章:逃れられない「血の因果」
これに対し、もう一つの呪いは、血縁や因果応報という、日本人が古くから信じてきた倫理観に基づいています。ここでは、悪行が子孫にまで連鎖するという、運命的な恐怖が描かれます。
その代表格が、『真景累ヶ淵』の呪いです。この物語は、親の悪行が、血筋という逃れられない鎖で子孫を苦しめるという「因果応報」を色濃く描いています。罪を犯したのは先祖であるにもかかわらず、その血を引く者は運命に導かれるように次々と不幸に見舞われます。これは、理不尽な恐怖というよりは、「宿命」として背負わされた重い運命を描いた物語です。
また、『東海道四谷怪談』のお岩さんもこのタイプに近い呪いを放ちました。夫である伊右衛門への個人的な恨みが発端ですが、その呪いは伊右衛門の血縁や、彼に関わる人々へと連鎖していきました。怨念の炎は特定の個人に留まらず、その周囲をも焼き尽くしていく。これは、呪いが「因果の鎖」として伝染していくさまを古典的な形で表現しています。
第三章:呪いはなぜ分かれたのか?ホラーとミステリーへの分岐
古典的な怪談の「血の因果」は、なぜ現代ホラーではあまり見られなくなったのでしょうか。それは、物語が持つ「謎解き」の要素が、ホラーではなくミステリーへと受け継がれていったからです。
『真景累ヶ淵』のような物語は、「なぜこんな不幸が続くのか?」という謎解きの面白さを本質的に含んでいます。そして、この謎解きは、日本の因習をテーマにした横溝正史のミステリーに色濃く受け継がれました。『犬神家の一族』などの作品では、血縁という「呪い」が、探偵が解き明かすべき「人間が引き起こした事件」のメタファーとして扱われます。
こうして、現代のエンターテインメントにおいて、呪いは二つの道を辿ることになります。ホラーは「因果を放棄して理不尽な恐怖」を追求し、ミステリーは「因果を解き明かす」という道に進んだのです。
そして「呪い」はどこへ向かうのか
古典的な呪いが、特定の場所や血縁という、ある種「物理的な鎖」に縛られていたのに対し、現代の呪いはその鎖を断ち切り、より普遍的な恐怖へと進化しました。
『リング』がビデオテープという「メディア」を介して呪いを伝染させたように、呪いはもはや特定の場所に縛られるものではなく、デジタルな情報や都市伝説を通じて、誰もが呪いの対象となりうる時代が到来しました。
このように、呪いの概念は時代と共に変化し、その時代の社会が抱える不安を反映しています。古典的な呪いが「因果応報」という倫理観に基づいていたのに対し、現代の呪いは、理不尽で無差別な恐怖を突きつけます。
今後、私たちはどのような「呪い」に怯えることになるのでしょうか。それは、もしかしたらAIやインターネットの奥底に潜む、見えない怨念かもしれません。
今日の呪学
最後までお読みいただきありがとうございます。
日本の怪談やホラーの2大潮流である、無差別の呪いと因果の呪いについて解説しました。

個人的には、真景累ヶ淵の呪いが本当に恐いなと思うんです。ドラマチックだからですかね。

無差別で理不尽なのも、怖いけどね…。
X(旧Twitter)はこちら
https://twitter.com/bit0tabi
Instagramはこちら
https://www.instagram.com/bit0tabi/
Facebookはこちら
https://www.facebook.com/bit0tabi/
noteはこちら
https://note.com/bit0tabi
コメント