公開当時、世界に強烈なトラウマを与えた映画『ムカデ人間』。
この作品は、狂気の外科医ハイター博士が、3人の旅行者(日本人1名、アメリカ人2名)を捕らえ、口と肛門をつなぎ合わせるというおぞましい手術を計画・実行するという、倫理観の限界を試すような内容です。
ホラーの枠を超えた、人間の狂気と欲望をテーマにした問題作として今なお語り継がれています。

恐そうすぎる…

本作の最大の恐怖の源は、やはりヨーゼフ・ハイター博士という存在です。
ヨーゼフ・ハイター博士の正体
ハイター博士は、かつては優秀な外科医でしたが、物語が始まる時点では完全に狂気の科学者と化しています。
彼の執着は、人間を「ムカデ」のように口と肛門でつなぎ合わせるという、医学的な知識を悪魔的に利用した実験にあります。

彼は、人間を人間としてではなく、ただの結合可能な「パーツ」としてしか見ていません。
この狂気は、過去の優秀な優秀なキャリアや知識が、いかに簡単に歪んだ欲望の道具になり得るかを示しており、観客に深い不快感と生理的な嫌悪感を抱かせます。
「mein lieber 3 hund」が持つ不気味な意味
博士の狂気を象徴する「mein lieber 3 hund」という言葉は、物語の序盤から中盤にかけて、ハイター博士の屋敷の庭に立つ墓標として不気味に登場します。
観客は最初、「これは何を意味するのだろう?」と戸惑い、博士の異常性を予感させられます。

この墓標は、博士が以前に行った(失敗した)ムカデ人間創造の試作品の墓であると解釈されており、その目的は、今回捕らえられた犠牲者たちへの狂気の予告として機能しています。
「私の親愛なる3匹の犬」というドイツ語の文字通りの意味とは異なり、博士が彼らを「3匹の犬」と見なしていたことは、人間性を完全に否定した所有物として扱う狂気の象徴なのです。
文字通りの意味合いに留まらず、この墓標は博士の頭の中にある不気味で歪んだヒエラルキーを示しています。
第一作の犠牲者の並びに意味はあるのか?
第一作の犠牲者は、日本人男性、アメリカ人女性、アメリカ人女性という並びで繋ぎ合わされます。このキャスティングと順序には、様々な考察の余地があります。

- 国際的な恐怖の演出: 異なる人種、異なる文化圏の人間を配置することで、「この恐怖はどこか遠い国の出来事ではない」という普遍的な(あるいは国際的な)恐怖を演出していると考えられます。
- 文化的な対比: 特に日本人を先頭に配置したことには、文化的な意味合いを深読みすることも可能です。しかし、これはハイター博士の狂気の無差別性を際立たせるため、つまり「誰でも良かった」という、より冷酷な無作為性を強調するための配置である、と考える方が妥当かもしれません。博士にとって、彼らは国籍や人種ではなく、単に「3つの体」という機能でしかないからです。
いずれにせよ、日本人キャストである北村昭博さんの出演は、日本の観客にとって、この異常な物語をより身近な恐怖として感じさせる一因になったことは間違いありません。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
『ムカデ人間』は、目を背けたくなるような設定でありながら、人間の精神の暗部を覗き込ませる作品です。
ハイター博士の狂気の思想と、それを体現する「mein lieber 3 hund」という言葉の異様な重みが、この映画をグロテスクな描写のみに終始せず、心に深く突き刺さるトラウマ的な作品へと押し上げています。
この作品を鑑賞する際は、その倫理的な問題点も含めて、人間の狂気の深さを考えるための試金石として向き合ってみるのも良いかもしれません。

あなたは鑑賞に耐えられるか。それとも途中で辞めてしまうのか。

僕は無理かも…。
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