『卒業』偽善の時代を撃つ、アメリカ映画の熱き叫び

ドラマ映画

Google検索で「映画 卒業」と入力すると、予測変換に「気持ち悪い」と出てくる――。

世間的には、この映画はボンボンの童貞が熟女とのセックスという快楽に溺れ、その若い娘に恋して最後には略奪するという、表面的なストーリーでしか評価されていない側面が強い。

しかし、マイク・ニコルズ監督の傑作「卒業」は、そんな単純な物語では決してありません!

1960年代後半のハリウッド映画界に大きな変革をもたらしたアメリカン・ニューシネマの幕開けを告げる本作は、単なるラブストーリーを超え、当時の時代、社会、そして人間の深層心理を鋭く描き出しています。

特に、それまでのハリウッドがセックス、暴力、政治といったタブーを自主規制していた中で、マイク・ニコルズ監督が自身の手がけた「バージニア・ウルフなんかこわくない」をきっかけにヘイズ・コード(映画製作の自主規制)が撤廃されたことで、本作「卒業」の挑戦的な映画化が可能になったことは、この作品がどれほど革新的な「熱き叫び」であったかを物語っています。

bitotabi
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今回の記事では、今となってはネガティブな評価を受けている「卒業」がどれほど偉大な作品であるか、こってりと語っていきます!

ダニー
ダニー

この記事を読み終えたら、もう「卒業」をキモイだのなんだの言えなくなるんだからね!

1950年代アメリカ社会と若者の反抗

1950年代のアメリカは、冷戦構造下の極めて保守的な社会でした。戦後、郊外に新居を構え、専業主婦というライフスタイルが定着する中で、表面的な豊かさの裏には性的欲求不満をはじめとする様々な腐敗がはらんでいました。

このような偽善的な社会で育ったのが、第二次世界大戦から帰還した世代の子供たち、いわゆるベビーブーマー世代です。彼らは、ロックンロールの台頭、ケネディ暗殺、そしてベトナム戦争に対する深い不信感や疑心を抱きながら、既存の社会への反抗心を募らせていきました。当時のハリウッド映画会社をユダヤ人が多く運営していたことも、彼らが自身のルーツへの偏見を避けるため、性的な描写や社会批判といったテーマを避ける一因となり、結果的にハリウッド映画が時代の変化から遅れることにつながりました。まさに、この偽善的で息苦しい保守的な世界からの卒業を求めるように、社会の主流から外れ、別の生き方を模索する「ドロップアウト」という思想が生まれ、ヒッピー・ムーブメントに代表されるカウンターカルチャーが形成されていきました。

「卒業」を形作った画期的な要素と象徴性

「卒業」がこれほどまでに強い影響力を持つ作品となった背景には、複数の画期的な要素と象徴的な表現があります。

まず、キャスティングです。主人公ベンジャミンの役には、当初、ハンサムなスターであるロバート・レッドフォードも候補に挙がっていました。しかし、マイク・ニコルズ監督は、当時のハリウッドの主流とは異なる、身長が低くユダヤ系の顔立ちをしたダスティン・ホフマンを起用するという、まさに革命的な選択をしました。これは、監督自身が白人の富裕層が支配する社会の中にポツンと立つユダヤ人としての経験を、主人公ベンジャミンに重ね合わせ、共感を覚えたからこそ為されたものでした。

次に、映画に散りばめられたコメディ要素も見逃せません。マイク・ニコルズ監督が元々コメディアンであったため、この映画はコメディとしても非常に洗練されており、観客を笑わせるシーンが随所にあります。

そして、音楽の使い方も特筆すべき点です。サイモン&ガーファンクルの既存曲を、映画の場面に合わせて効果的に使用するという手法は、当時としては画期的な試みでした。特に「ミセス・ロビンソン」は、元々はエレノア・ルーズベルトについての歌でしたが、映画のために歌詞が変更されました。しかし、この映画の主題を最も象徴するのは「サウンド・オブ・サイレンス」です。劇中、登場人物たちは互いを見ているようで実は何も見ておらず、相手のことを全く理解していないという、コミュニケーションの断絶と孤独感がこの曲によって表現されています。

映画のあらゆるセリフやシーン、登場人物の服装や小道具の全てが、深いテーマを語るように綿密に作り込まれています。中でも、作中で繰り返される「プラスティックだよ」というセリフは、当時のアメリカ社会の偽善を象徴する言葉として非常に印象的です。主人公ベンジャミンが「何か違うものになりたい」と語るセリフは、親や社会が敷いたレールから外れ、偽善的な社会とは異なるものを求めるドロップアウトの思想、そしてこれまでのハリウッド映画とは違うものを作りたいという、映画そのものの怒りと反抗の精神を示しています。

まず映画の冒頭、主人公ベンジャミンが空港の動く歩道(エスカレーター)で移動するシーンは、彼が自らの意志で動いているようでいて、実は社会という大きな流れに抗えず、そこから抜け出せずにいるという、当時の若者の無力感や閉塞感を巧みに表現しています。

また、本作には「水」に関するシーンが多数登場し、ベンジャミンの心理状態を象徴しています。特に、水槽のシーンや、潜水服を着て登場するシーンは、彼が社会に出るのを嫌がり、母親の胎内にいるような状態に閉じこもる様子、あるいは母体への回帰や閉じこもりを表現しています。プールの中で呆然としているシーンも同様に、彼の閉塞感と外の世界への隔絶感を象徴的に示しています。

また、プールのシーンでベンジャミンがかけていたサングラスは、彼が社会のダークサイドに足を踏み入れ、純粋さを失ったことを表現しており、これは他の映画にも影響を与えています。それを物語るように、ミセス・ロビンソンとの初めてのセックスの後に、彼がサングラスをかけるシーンに切り替わる流れもお見事。

ミセス・ロビンソンという人物もまた、複雑な象徴です。彼女は単なる誘惑者ではなく、かつてベンジャミンのような志を持っていたが社会に敗北し、挫折した人物として描かれています。彼女の着ているレオタードや虎の毛皮は、若い男を食う「クーガー」のイメージを象徴しています。

そして、親から与えられたものを捨て、自分一人で社会と戦うというベンジャミンの決意は、アルファロメオの乗り捨てによって象徴されます。ベンジャミンが教会の窓ガラスを叩くシーンは、キリストが十字架に貼り付けられた姿勢を偶然にも示しており、金儲けに走る支配階級を打ち破るキリストのような存在として描かれています。

特に印象的なのが、ベンジャミンがエレインに母親との情事を告白するシーンのえげつないカメラワークです。固定されたカメラが二人の顔を交互に、あるいは同時に捉えることで、逃げ場のない張り詰めた空気感を強調し、エレインの衝撃と絶望が痛いほど伝わります。さらに、ミセス・ロビンソンがベンジャミンに別れを告げる際の「グッバイ、ベンジャミン」のシーンもまた、見事な演出です。彼女の顔のクローズアップから、徐々にカメラが引きの画へと移っていくことで、彼女の内に秘めた感情の揺れ動きと、ベンジャミンとの関係性の終わり、そして彼女自身の孤独な運命が、言葉以上に雄弁に語られています。

ベッドでの会話シーンの深層

ベンジャミンとミセス・ロビンソンのベッドでの会話シーンは、彼らの関係の表層的なものとは異なる、深い心理を描き出しています。ベンジャミンが「アートについて話したい」と精神的な繋がりを求めようとする一方で、ミセス・ロビンソンはそれを冷徹に退け、彼らの関係が肉体的なものに過ぎないことを突きつけます。

この中で彼女は自身の過去、特に夫であるロビンソン氏との結婚について語ります。彼女の口からは、愛や情熱があったわけではなく、まるで「フォード」の車を買うように、つまり実用性や社会的な体裁といった理由で結婚を決めたかのような虚無感が漂います。実際、ロビンソン氏との間に妊娠してしまったことが、不本意ながらも社会的な体裁を保つための結婚の決定打だったことを示唆します。この告白は、ミセス・ロビンソンの抱える深い孤独と絶望、そして彼女がいかに社会の期待や自身の選択によって「囚われている」か、若き日の理想を失ってしまったかを浮き彫りにします。ベンジャミンにとっても、この会話は、大人の世界の表層的な豊かさの裏にある虚無感や、世代間の価値観の断絶を肌で感じる重要な瞬間となります。



映画のラストシーンが示唆するもの

映画のラストシーン、バスに乗ったベンジャミンとエレインが、最初は笑顔を見せるものの、最終的には真剣な表情で前を見つめる姿は、単なるハッピーエンドではありません。

これは、両親や恵まれた生活、そのすべてを投げ打ってしまった、これから二人で世界と戦っていくという強い意志と、困難な未来に立ち向かう決意を象徴しています。

後世の映画作品への多大な影響

「卒業」は、これまでのハリウッド映画の価値観を破壊し、新しい映画の方向性を示すアメリカン・ニューシネマの象徴であり、未来が見えない中で進むしかないという当時のアメリカの決意を表現していると解説されています。この映画は、編集と音楽のタイミングが抜群であり、細部にまで意味が込められているため、何度見ても新しい発見がある作品です。

そして「卒業」が映画史に残した足跡は計り知れません。クエンティン・タランティーノ監督の「ジャッキー・ブラウン」や「パルプ・フィクション」、マーティン・スコセッシ監督の「ウルフ・オブ・ウォールストリート」、「カジノ」、ウェス・アンダーソン監督の「天才マックスの世界」や「ロイヤル・テネバームズ」、「卒業白書」、デヴィッド・リンチ監督の「ブルーベルベット」など、数多くの後世の映画監督や作品に多大な影響を与え続けています。

今日の映学

最後までお読みいただきありがとうございます。

「卒業」は、単なるスキャンダラスな物語として消費されるべき作品ではありません。

それは、時代が大きく変革する中で、若者が社会の偽善に疑問を投げかけ、自身の道を模索する普遍的な姿を描いています。

マイク・ニコルズ監督の映画に対する深い愛情と、新たな表現への飽くなき探求心が生み出したこの傑作。

公開から半世紀以上経った今もなお、観る者に強烈な問いを投げかけ、アメリカ映画の可能性を広げた、不朽の輝きを放ち続けているのです。

bitotabi
bitotabi

私自身も、執筆に向けて再鑑賞し、この映画の偉大さを痛感しました。

ダニー
ダニー

こんなにもチャレンジングな映画だったとはね。

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