衝撃と深淵:『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』が問いかける人間の根源

SF映画

アルタード・ステーツ/未知への挑戦(Altered States)』を鑑賞しました。

ケン・ラッセル監督の手によるこの異色作は、観る者に強烈な視覚体験と、人間の意識、科学、そして存在の根源について深く考えさせる強烈な問いを投げかけます。

本記事では、この映画のあらすじ、そのテーマ性、そして原作者パディ・チャイエフスキーの思想的背景に迫ります。

bitotabi
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凄まじいエネルギーを持つカルト映画。SFでもホラーでもあり、哲学的な問いかけもある。衝撃作です。

ダニー
ダニー

前回紹介した書籍「ホラー映画で殺されない方法」で紹介されてたんだよ!


物語の始まり:父親の死が刻んだ「神秘体験」

映画の主人公は、若きハーバード大学の生理学者エディ・ジェサップ博士です。彼の人生と狂気じみた探求の原点には、幼少期に経験した、ある「神秘体験」があります。それは、父親の臨終に際し、その魂が肉体を離れ、光となって昇っていくのを目撃したというもの。この出来事は、エディに死後の生命、意識の存在、そしてそれが肉体とどう関係するのかという根源的な問いを突きつけました。

しかし、既存の宗教が教えるような単純な「神」や「天国」の概念では、この体験を説明しきれないと感じたエディは、自身の知性と科学者としての探求心をもって、より深く、より本質的な真実を求めようと決意します。この個人的な喪失と神秘が、後の彼の常軌を逸した研究へと駆り立てる原動力となるのです。

あらすじ:意識の深淵と肉体の変容

エディ・ジェサップ博士は、同僚の科学者であるアーサー・ローゼンバーグとメイソン・パリッシュの協力を得て、人間の意識の根源や「最初の自己」を探求するべく、危険な実験に没頭します。彼の研究の中心は、**感覚遮断タンク(Isolation Tank)**と、アマゾンの先住民が使用する強力な幻覚作用のあるキノコから抽出した薬物「ウリベリ」の併用でした。

彼の唯一の理解者であり、後に妻となるエミリー・ジェサップは、彼の研究を案じながらも見守ります。しかし、エディの実験は次第にエスカレートしていきます。最初はわずかな幻覚に留まっていた意識体験は、実験の強度を増すごとに深まり、幻覚は具体的かつ恐ろしいものへと変貌していきます。彼の意識は先史時代にまで遡り、原始的な人類や動物の姿、そして宇宙の始まりから終焉までを体験するようになります。

そして、映画は最も衝撃的な局面を迎えます。エディの意識の探求は、肉体的な変容を伴うようになるのです。ある実験中、彼は感覚遮断タンクの中で完全に意識を失い、猿人のような姿に変貌してしまいます。パニックに陥った同僚たちは彼を隔離し、元の姿に戻そうと試みます。一度は人間の姿に戻ったものの、エディの探求心は止まらず、学界からの非難やキャリアの危機にも屈することなく、更なる実験を強行します。

最終的に、エディは自宅の地下室で最後の、そして最も危険な実験を行います。これまでで最も大量の薬物を摂取し、タンクに潜った彼の肉体は、もはや人間の形を保てなくなり、光とエネルギーの集合体のような、不定形な塊へと変容し始めます。それはまさに、生命の原初的なスープのような、恐ろしくも根源的な存在でした。

この危機的状況に対し、エミリーは愛するエディを取り戻すため、変容した彼の不定形な体を危険を顧みずに抱きしめます。彼女の愛と人間の絆こそが、彼を「人間」として繋ぎ止める唯一の力であると信じ、エディに呼びかけます。エミリーの呼びかけと愛によって、エディの肉体は奇跡的に元の人間の姿を取り戻し始めます。彼は「私はただの人間だ!」と叫びながら意識を取り戻し、究極の真理への探求が、人間の存在そのものを破壊しかねない危険性をはらんでいることを悟ります。

映画は、エディとエミリーが互いに寄り添い、人間として生きること、そして愛の重要性を再確認するように幕を閉じます。



奇怪でぶっ飛んだビジュアルエフェクトと幻覚キノコ「ウリベリ」

本作の最大の魅力の一つは、その奇怪でぶっ飛んだビジュアルエフェクトにあります。1980年代の作品でありながら、エディ・ジェサップが体験する幻覚や肉体変容のシーンは、当時の最先端技術と監督ケン・ラッセルの独創的なビジョンが融合し、観る者に強烈なインパクトを与えます。

特に、彼の肉体が猿人へと変貌する過程や、最終的に不定形な原始の生命体へと変化する描写は、特殊メイクアップの巨匠ディック・スミスの手腕が光ります。ディック・スミスは、そのリアルでグロテスクな表現で知られ、彼の特殊メイクはエディの変貌を単なる視覚的な驚きにとどまらず、観る者に生理的な不安感を与え、心理的な恐怖を喚起するのに成功しています。

さらに、脈打つような光の表現、身体が溶け崩れていくような視覚効果は、当時最先端だったコンピューター・アシスト・ロトスコープシステム、そして様々な光学エフェクトを駆使して生み出されました。これらの映像は、単なるSFXを超え、人間の意識の深淵を視覚化した芸術的な表現として高く評価されています。観客をエディの精神世界へと引きずり込み、不安感を煽るような奇怪な幻覚シーンは、映画全体に不穏な雰囲気を与え、忘れがたい体験として心に残ることでしょう。

そして、エディの実験に不可欠な要素として登場するのが、アマゾンの先住民が使用するという幻覚キノコ「ウリベリ」です。この「ウリベリ」という名前のキノコは、映画のための架空の存在です。しかし、そのモデルとなったとされるのは、パディ・チャイエフスキーが着想を得たジョン・C・リリーの研究や、カルロス・カスタネダの著作などにも登場する、実際に幻覚作用を持つキノコや植物、例えばメキシコに自生するマジックマッシュルーム(シロシビンを含むキノコ)や、アヤワスカなどの幻覚性植物などが挙げられます。映画では、これらの現実の幻覚性物質が持つ神秘的かつ危険な側面を象徴する存在として、「ウリベリ」が描かれています。

ジョン・コリリアーノによる衝撃的な音楽

『アルタード・ステーツ』の魅力を語る上で欠かせないのが、ジョン・コリリアーノが手掛けた映画音楽です。彼にとって初めての劇映画音楽となった本作で、コリリアーノはアカデミー作曲賞にノミネートされるほどの才能を発揮しました。

彼のスコアは、従来の映画音楽の枠を超えた、極めて実験的で前衛的なものです。不協和音を多用し、緊迫感を煽る弦楽器の不穏な響き、電子音や不気味な声、そしてパーカッションの乱打が組み合わさり、エディが体験する幻覚の混沌や恐怖、精神の崩壊を完璧に表現しています。特に、エディが変容していくシーンでの音楽は、観る者の不安を最大限に高め、映像と相まって心に深く突き刺さるような体験をもたらします。一方で、エミリーとの関係性や、人間の本質に迫る場面では、叙情的で美しい旋律も顔を出し、物語に深みを与えています。

コリリアーノの音楽は、単なるBGMとしてではなく、まるでもう一人の登場人物であるかのように、映画のテーマを強力に補強し、観客の感情を揺さぶります。この音楽的アプローチが、本作を単なるSFホラーに留まらない、芸術性の高い作品へと押し上げる要因の一つとなっています。

猿人化時のアクション:熱演を見せた役者たち

エディ・ジェサップが猿人へと変貌し、研究所内を暴れ回るシーンや、動物の肉を貪るシーンは、本作の中でも特に衝撃的で、観る者に強烈な印象を残しますよね。あの迫力あるアクションは、主に**ミルトン・ハワード(Milton Howard)**という俳優によって演じられました。

主人公エディ・ジェサップの青年期を演じたのはウィリアム・ハートですが、猿人へと変貌した後の、特殊メイクを施した状態での身体表現や、動物的な動き、そして生肉を食べるなどのアクションは、ハワードが担当しました。彼は、その身体能力と表現力で、ディック・スミスの素晴らしい特殊メイクに命を吹き込み、観る者がまさに「人間ではない何か」がそこにいるというリアリティを感じられるように貢献しました。

このシーンは、単に特殊メイクの技術だけでなく、役者の身体表現によって、エディが人間としての理性や抑制を失い、より原始的な存在へと逆行していく過程を克明に描き出しており、映画のテーマ性を深く象徴する場面となっています。



聖書批判か?それとも人間の根源への問いか?

この映画を観た際に、「聖書批判なのだろうか?」という疑問が湧くのも当然です。しかし、直接的に聖書を批判しているというよりは、科学と宗教、人間の意識と存在の根源という、より普遍的なテーマを探求しています。

エディ博士が意識の深層を探る中で現れる幻覚には、神、イエス、磔刑といった宗教的なイメージが頻繁に登場します。これは、彼が人類が共有する根源的な宗教的体験や集合的無意識に触れていることを示唆しています。彼の「神を捨てた後、我々には自分自身しか残されていない」というセリフは、現代人が宗教に代わるものとして自己探求や科学に目を向ける姿勢を象徴しているとも解釈できます。

つまり、聖書そのものを否定するのではなく、人間の意識が作り出す「神」や「真理」の概念、そしてそれが科学的探求によってどのように変容し、あるいは打ち破られうるのかを、非常に衝撃的な方法で描いている作品と言えるでしょう。

原作者パディ・チャイエフスキーの思想

この「ぶっ飛んだ」ストーリーの背景には、原作者であり脚本も手掛けたパディ・チャイエフスキーの深い思想的探求があります。彼はユダヤ系の家庭に育ちながらも、宗教的教義には懐疑的で、科学や哲学的なアプローチから人間の存在や意識の謎に迫ろうとしていました。

特に、著名な神経科学者ジョン・C・リリーが行った感覚遮断タンクの研究や、意識変容状態に関する研究に強く影響を受け、それを物語のインスピレーションとしました。チャイエフスキーは、実際に肉体的な変容が起こると信じていたわけではなく、むしろ科学的探求が人間の精神や存在の根源をどこまで解き明かしうるのか、そしてその探求がもたらす危険性や倫理的な問題について深く考察し、それを極端なフィクションとして表現したのです。

彼の目的は、単なるSF的なスペクタクルではなく、「人はどこから来て、どこへ行くのか」という人類普遍の問いに対し、現代科学がどのように向き合い、どのような結論に至るのかを、ある種の警告を込めて提示することにあったと言えるでしょう。

まとめ

『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』は、単なるSFホラーやサイケデリック映画の枠には収まらない、哲学的な深みを持つ作品です。奇怪で革新的なビジュアルエフェクト観る者を不安にさせる幻覚描写ジョン・コリリアーノによる実験的な音楽、そして特殊メイクと身体表現が融合した衝撃的な肉体変容シーンが織りなす世界観は、この映画を唯一無二の存在にしています。幻覚キノコ「ウリベリ」に象徴される精神世界への探求、人間の意識の限界、科学と信仰の対立、そして究極の愛というテーマが複雑に絡み合い、観る者の心に強烈な爪痕を残します。

bitotabi
bitotabi

SFとしても、ホラーとしても、そして哲学的な問いかけとしても高い評価を受けるこの作品は、まさに「非の打ちどころがない」と言えるでしょう。

ダニー
ダニー

未見の方はもちろん、一度観た方も、その奥深さを再発見するために、ぜひもう一度深く潜ってみてはいかがでしょうか。

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