『オデュッセイア』の深みとは?1954年版『ユリシーズ』との比較で見えた真価

映画

ホメロスの古代叙事詩『オデュッセイア』は、これまで何度か映像化されてきた歴史的大作です。

70年以上も前の1954年版『ユリシーズ』を改めて鑑賞してみたのですが、現代の最先端映画技術で描かれたクリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』と見比べることで、映画表現の進化はもちろん、作品の本質を支える「意外な共通点」が見えてきました。

ダニー
ダニー

え、このどうでもよさそうなこのシーンは、どっちにも共通するの?ってシーンがあってびっくり!

bitotabi
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逆に、ここはこんなに違うのか!というものも多分にあります。

今回は1954年版の感想を交えつつ、底から見えてきたノーラン版の凄みと、両作に受け継がれた重要なディテールについて紐解いていきます。

1954年版『ユリシーズ』作品概要

  • 公開年: 1954年
  • 監督: マリオ・カメリニ
  • 脚本: ジーノ・ロヴェル、マリオ・カメリニ ほか(原作:ホメロス『オデュッセイア』)
  • キャスト: カーク・ダグラス、シルヴァーナ・マンガーノ、アンソニー・クイン ほか
  • あらすじ: トロイア戦争の終結後、故郷イタケを目指して航海に出たオデュッセウス(カーク・ダグラス)。しかし、神々の怒りに触れた彼は過酷な漂流生活を余儀なくされる。記憶を失い漂着した地で救援を受けつつも、彼を待ち受けるのは巨人サイクロプスや魔女キルケーの恐ろしい誘惑だった。一方、故郷では妻ペネロペが執拗な求婚者たちに囲まれ、苦境に立たされていた。

1954年版『ユリシーズ』の感想:快活すぎる英雄と強い男性性

カーク・ダグラス演じるオデュッセウスは、当時の大作映画らしく筋肉質で快活なヒーローとして描かれています。

しかし現代の視点で観ると、どうしても「冒険活劇の枠を出ない」という印象が残ります。オデュッセウス自身にどこか「みたか!ざまあみろ!」と言わんばかりの威勢の良さが全面に出ており、例えばキルケーの誘惑シーンでは色欲や怠惰に流されてあっさりと一夜を共にしてしまうなど、ツッコミどころのある甲斐性のなさが際立ちます。

また、原作にあるカリュプソのエピソードが省略されてキルケーに集約されていたり、妻ペネロペと魔女キルケーを同じ女優(シルヴァーナ・マンガーノ)が一人二役で演じていたりと、物語の構造としてややこしい部分も目立ちます。オデュッセウスがやたらとモテモテでカッコよく描かれる反面、戦争のトラウマや過酷な漂流への葛藤といった内面的な描写は浅く、エンタメとしては楽しめても人間ドラマとしての深みには欠ける部分がありました。

bitotabi
bitotabi

時代を感じもしますね。あまりも奔放に描かれ過ぎているよう思いました。



それを受けて際立つクリストファー・ノーラン版の恐ろしさ

この1954年版が持つ「割り切った娯楽活劇としての限界や軽さ」を目の当たりにしたからこそ、ノーラン監督版『オデュッセイア』が持つ異次元の重厚さがより鮮明になります。

ノーラン版では、オデュッセウス(マット・デイモン)を無敵の英雄ではなく、長年の漂流によって孤独と喪失に精神をすり減らした一人の人間として描写しています。そこには快活さや軽さは微塵もなく、泥臭く生還にしがみつく圧倒的なリアリティがあります。

また、妻ペネロペ(アン・ハサウェイ)や息子テレマコス(トム・ホランド)が待つ故郷の政治的サスペンスを交錯させる多重構造や、全編IMAX撮影による圧倒的な自然の脅威など、映画としての格の違いを見せつけられます。



チーズと老犬:2つの作品に共通する「一見地味だが重要な設定」

今回2作を見比べていて何より興味深かったのは、一見すると大したことのないような細部の設定が、1954年版にもノーラン版にもしっかりと共通して登場していた点です。

一つ目は「サイクロプスの洞窟にあるチーズ」の描写です。外見や中身は恐ろしい人食い巨人でありながら、やっていることは「大量の羊を飼ってせっせとチーズを仕込むおじさん(巨人)」という、このギャップこそがホメロスの描くユーモアであり、不気味なリアリティのミソです。人間を捕まえて喰らうくせに、洞窟の中にはめちゃくちゃ几帳面に熟成された大量のチーズが並んでいる――こうしたディテールが、怪物の中に奇妙な生活感を生み出す重要なアンカーになっていました。

二つ目は「老犬アルゴスとの再会」です。変装して故郷に戻ったオデュッセウスを、かつての愛犬だけが気づいて静かに息を引き取るというこのシーン。どれだけ旅が過酷であろうと故郷の時間は止まらず、愛する者は老いていくという「残酷な時の経過と喪失」を視覚的に突きつける、非常に重要なエピソードとして機能しています。

一見地味なこれらの要素が70年の時を超えてどちらの映画にも残されているのは、これらこそが『オデュッセイア』という物語のリアリティと深みを支える本質的なパーツだからなのだと気づかされました。

今日の映学

最後までお読みいただきありがとうございます。

1954年版『ユリシーズ』が残した古き良き冒険活劇としての割り切りや、人間ドラマの浅さを直視したからこそ、両作に共通する「チーズ」や「老犬」といった細部がいかに物語の本質的なアンカーであったかが浮き彫りになりました。

その原作の核にある深みを、現代の最高峰の技術と重層的な脚本で完全に昇華させたクリストファー・ノーランの凄まじさをまざまざと見せつけられる、非常に贅沢な映画体験となりました。

bitotabi
bitotabi

ここをこう変えるのねってのを楽しみながら鑑賞できました。ホメロスの原作も気になってきましたね…。

ダニー
ダニー

さすがに大変そう!

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