Netflixの人気ドキュメンタリーシリーズ『ストリート・グルメを求めて』で大阪が舞台となった回を視聴しました。
今回スポットが当たったのは、京橋の名店「居酒屋とよ」。

豪快にガスバーナーでマグロを炙るパフォーマンスで知られるお店ですが、その裏側に隠された店主・筑元豊次さんの半生を知り、同じ大阪人として深く心を揺さぶられました。

大阪の人と他府県の人って明確に違うとは思いつつ、どこが違うのか聞かれるとうまく答えられない。そんな長年のモヤモヤが晴れるような。そんな感動がありました。

えぇ~。気になるねぇ。
「牛の尻尾になってはならん」自らを律する言葉の重み
15歳で鹿児島県の喜界島から大阪へやってきた筑元さん。本当は高校へ進学したかったものの、家にはそのための金がなく、生きるために大阪へ働きに出るしかなかったといいます。
そんな彼が今日まで自分を律し続けてきた信念が、「牛の尻尾になってはならん。鶏の鶏冠になれ」という言葉でした。大きな組織の末端で安住するのではなく、たとえ小さくとも自分の城を持ち、その頭(かしら)として光り輝けという教え。

劇中、客席を回りながら筑元さんは、冗談交じりにこう言い放ちます。 「あんたは頑張ってない。時の流れに流されてるだけや」
一見、客との何気ない掛け合い、軽口の一つに過ぎないその言葉。しかし、学問の道を諦め、実力だけが頼りの世界で血の滲むような努力をして道を切り拓いてきた彼の生き様に触れた後では、その響きは一変します。流されずに生き抜くという強い意志を貫いてきた男の言葉だからこそ、笑い飛ばすような口調の奥にある真理に、思わず胸が熱くなりました。
言語化された「大阪」のアイデンティティと、私の中の挑戦心
このドキュメンタリーが秀逸なのは、単なるグルメ紹介に留まらず、食を通じて大阪という街のアイデンティティを鮮やかに言語化してくれた点です。
他府県とは一線を画す、独特の距離感の近さや人情、そして「食」に対する並々ならぬ執着。大阪人として当たり前に感じていたこれらの府民性が、客観的な視点で改めて定義されることに、言いようのない心地よさを感じました。「笑われてなんぼ」という精神や、「大阪のように変な人間」でありたいという気概。それは私たち大阪人の中に脈々と流れている、型にはまらない挑戦を恐れない心そのものかもしれません。
「食」は単に空腹を満たすためのものではなく、そこには店主の生き様があり、客との対話があり、街の歴史が詰まっている。筑元さんの姿を見ていると、私自身の中にもある「もっと挑戦したい」という心が激しく共鳴するのを感じました。
大阪のストリートを象徴する「4つの食」
そうした大阪独自のエネルギーを象徴するものとして、番組のラストでは以下の4つの食べ物が挙げられていました。大阪人としては「発祥」という言葉に少し敏感になってしまいますが、この街の文脈で語られれば納得のラインナップです。
- たこ焼き・お好み焼き 戦後の動乱期から庶民の胃袋を支え、街角(ストリート)の至る所でコミュニケーションのハブとなってきた、文句なしの主役です。
- うどん(大阪うどん) 特筆すべきは「出汁(だし)文化」との融合です。忙しく働く大阪人の日常に溶け込んだ究極のファストフード。そのスピード感と、最後の一滴まで飲み干す出汁への愛着が、大阪の活力として描かれています。
- 焼き鳥 大阪、特に京橋や西成といったエリアでは、路上にはみ出した赤提灯の下で焼かれるスタイルが日常です。屋外で煙にまみれながら、見知らぬ者同士が肩を並べて食べる。その「光景」そのものが、アジア的なストリートフードの象徴として選ばれたのでしょう。
「起源」がどこかということ以上に、それらが大阪の路上でどう愛され、独自の進化を遂げたのか。その生命力こそが、世界に紹介したかった「大阪の食」の正体なのだと感じました。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
「居酒屋とよ」の存在は知っていましたが、店主がどのような想いで京橋の地に立ち続けてきたのかを知り、あの一皿が持つ意味が大きく変わりました。

自分は今、時の流れに流されているだけではないか。筑元さんの言葉を胸に刻み、また明日から自分の足で、自分らしく歩こうと思わせてくれる一編でした。

大阪という街がもっと好きになる視聴体験だったね。
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