『聲の形』罪と罰と痕、そして赦。彼らに平穏は訪れるか。

アニメ映画

聲の形』は、大今良時による漫画を原作とした長編アニメーション映画です。

聴覚障がいを持つ少女と、彼女をいじめていた少年が、時を経て再会し、過去と向き合いながら成長していく姿を描いています。

京アニこと京都アニメーションが手掛けた、その美しい映像表現と繊細な心理描写は、多くの観客の心を掴みました。

bitotabi
bitotabi

できるだけたくさんの人に観てほしい、大切なメッセージの詰まった作品でした。

ダニー
ダニー

かなり心をえぐられるけど、いい作品だよね。


あらすじ

物語は、小学生時代の石田将也(いしだ しょうや)が、転校してきた聴覚障がいを持つ少女、西宮硝子(にしみや しょうこ)をいじめることから始まります。補聴器を壊したり、筆談ノートを隠したりとエスカレートするいじめの結果、硝子は転校を余儀なくされ、将也はいじめの主犯としてクラスから孤立します。

高校生になり、孤立した日々を送る将也は、人生に絶望し、自殺を考えていました。しかし、そんな中で硝子との再会を果たします。過去の罪悪感と後悔に苛まれる将也は、硝子への償いを決意し、手話を学び、彼女との距離を縮めようとします。

彼らの再会は、小学生時代に関わりのあった同級生たちをも巻き込み、それぞれの後悔や葛藤が露わになっていきます。将也と硝子は、再び互いの「聲」を聴き、心を通わせることができるのか。そして、過去の過ちと向き合い、未来へ進むことができるのかが描かれます。


受賞歴、世の中への影響

『聲の形』は、その深いテーマと高いクオリティから国内外で高く評価されました。

  • 第40回日本アカデミー賞 優秀アニメーション作品賞
  • 東京アニメアワードフェスティバル2017 アニメオブザイヤー 劇場映画部門

など、数々の賞を受賞しています。

世の中への影響としては、いじめ問題聴覚障がいへの理解促進に大きく貢献した点が挙げられます。映画を通して、いじめの加害者・被害者双方の複雑な心の動きや、聴覚障がい者が日常生活で直面する困難、そしてコミュニケーションの壁を多くの人々が知るきっかけとなりました。これにより、社会全体で共感と理解を深める一助となったと言えるでしょう。




いじめの罪、それぞれの罪の意識

この作品の大きな特徴は、いじめの加害者と被害者、そして周囲の人々それぞれの「罪」と「罪の意識」を多角的に描いている点です。

将也はいじめの主犯として、社会から孤立し、深い罪悪感を抱き続けます。彼は硝子への償いを求め、過去と必死に向き合おうとします。一方、いじめを受けていた硝子もまた、自分がいじめられることで周りに迷惑をかけているのではないかという、自己肯定感の低さや罪悪感に苦しみます。

また、小学生時代のクラスメイトたち、例えば植野や川井、島田といったキャラクターも、それぞれがいじめにどう関わったか、あるいは見て見ぬふりをしたかによって、異なる形で罪の意識や後悔を抱いています。特に、佐原みよこは、小学校時代に唯一、硝子に積極的に手話で向き合おうとした人物でしたが、その行動が原因で彼女自身もいじめに近い扱いを受け、学校に行けなくなってしまいました。彼らが将也や硝子と再会することで、過去の清算を迫られ、自身の行動と向き合う姿は、観る者に「自分だったらどうしただろうか」と考えさせるきっかけを与えます。

この作品は、いじめが単一の悪役によって引き起こされるものではなく、周囲の環境や個々の心の弱さが複雑に絡み合って生まれるものであることを示唆し、その影響が長期にわたって人々の心を蝕むことを浮き彫りにしています。


補聴器の効果について

映画の中で、硝子が使用する補聴器は、単なる医療機器以上の象徴的な意味を持っています。将也がいじめの際に補聴器を壊してしまう描写は、聴覚障がい者にとっての補聴器の重要性と、それらを損なう行為がいかに深い傷を与えるかを物語っています。

映画は、補聴器を通して聴覚障がい者がどのように音を認識し、また、それでも完全に聞こえるわけではないという現実を伝えています。例えば、補聴器をつけていても、特定の子音や高音域の音が聞き取りにくかったり、雑踏の中では音の判別が困難であったりすることが示唆されています。これにより、健聴者には当たり前の「聞く」という行為が、聴覚障がい者にとってはどれほど困難で、労力を要するものなのかを具体的に理解することができます。

補聴器は、硝子が外界とつながるための重要な手段であり、将也が壊したことは、彼女からコミュニケーションの機会を奪う行為でもありました。物語が進むにつれて、将也が硝子の補聴器に配慮するようになる姿は、互いの理解と尊重が深まる過程を象徴しています。




タイトルの意味

『聲の形』というタイトルは、非常に示唆に富んでいます。

まず「聲(こえ)」は、単に声帯から発せられる「声」だけでなく、人の心の叫び、感情、伝えたい思いといった、目に見えない内面的なものを指していると考えられます。聴覚障がいを持つ硝子は、直接的な「声」を届けることに困難を伴いますが、手話や筆談、そして表情や行動を通して、自身の「聲」を伝えようとします。

そして「形」は、その「聲」がどのように表現され、相手に届くのか、あるいは届かないのかという、コミュニケーションのあり方や、人々の心の繋がりの様を象徴していると言えるでしょう。形のない「聲」に、互いが歩み寄り、理解し合うことで「形」を与え、心を通わせることを目指す。このタイトルは、そうした作品の根幹にあるテーマを美しく表現しています。


名ゼリフにみる登場人物の心境

映画には、登場人物たちの葛藤や本質が凝縮された、心に残る名ゼリフが数多く登場します。

  • 「好きって言った、でも伝わらなかった」
    これは、硝子が将也に自身の好意を伝えようとするも、将也にその言葉が届かなかった時のモノローグです。聴覚障がいを持つ硝子が、どれほど言葉を尽くしても、そしてどれほど大切な思いを伝えようとしても、健聴者との間に横たわるコミュニケーションの壁と、それによって生じるもどかしさ、悲しさ、そして孤独感を端的に表しています。言いたいことが伝わらない、理解されないという絶望感が、この短いフレーズに凝縮されています。
  • 「怖いかどうかは乗ってから決めることにしたの。やっぱまだ怖いけどね」
    このセリフは、高校生になった佐原みよこがジェットコースターに乗る際に発した言葉です。小学校時代に硝子の理解者としていじめに近い扱いを受け、不登校になった佐原は、過去の経験からくる恐怖や臆病さを抱えています。しかし、それでも前に一歩踏み出そうとする彼女の勇気と、困難に立ち向かう強い意志が、この言葉に凝縮されています。いじめによって傷ついた心が、それでも希望を見出し、新しい自分になろうとする姿勢がうかがえます。

これらのセリフは、登場人物たちが抱える心の傷や、彼らが乗り越えようとする困難を象徴しており、観る者に深い共感と感動を与えます。


今日の映学

最後までお読みいただきありがとうございます。

『聲の形』は、いじめの加害者、被害者、そして傍観者という様々な立場を通して、人間の心の弱さ、脆さ、そして立ち直ろうとする強さを描き出しています。

この作品が問いかける「赦し」や「コミュニケーション」の重要性は、現代社会を生きる私たちにとって、深く心に響くメッセージとなるでしょう。

ぜひ一度、この感動的な物語に触れ、あなた自身の「聲の形」について考えてみてください。

bitotabi
bitotabi

障害、そしていじめといったものとどのように向き合うべきか、非常に考えられる物語です。

ダニー
ダニー

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