「極限の状況で、私たちは何を選択するのか?」
2007年の映画『28週後…』は、この根源的な問いを観る者に深く突きつけます。前作『28日後…』が築き上げたレイジウイルスによるパンデミック後の世界観を継承し、さらにその絶望の淵で、一人の父が犯した罪とそれによってもたらされる過酷な罰を描き出します。
しかし、物語はそれだけで終わりません。
地獄と化した世界で、一人の兵士が示した人間讃歌とも言える献身は、私たちに微かな、しかし確かな希望を提示します。

生存、裏切り、そして自己犠牲というテーマが交錯するこの作品は、観る者自身の心の奥底に潜む選択と、人間性の光と影を映し出すことでしょう。

詳しく解説していくよ!
作品概要:ダニー・ボイルが創り出した世界観の継承と深化
2007年に公開された映画『28週後…』は、ダニー・ボイル監督の傑作ホラー『28日後…』の続編であり、製作総指揮にボイル自身が名を連ねています。
監督はフアン・カルロス・フレスナディージョに代わりましたが、前作の「レイジウイルス」によるパンデミック後の世界観と、極限状態における人間の心理描写というテーマ性は一切揺らぐことなく、むしろ深く、そして鮮烈に描かれています。
単なるゾンビパニック映画としてだけでなく、人間の裏切り、家族の絆、そして軍という組織の非情さが織りなす重層的なドラマが、観る者に強烈な印象を残します。
あらすじ:希望と絶望が交錯する世界
物語は、「レイジウイルス」の感染爆発から始まる強烈な導入で幕を開けます。主人公のドンと妻のアリスは、郊外のある老夫婦の家に他の生存者2名とともに隠れて生活していました。しかし、一人の子供が彼らの隠れ家に逃げ込んできたことで、追ってきた感染者が家の中に侵入してしまいます。ドンは感染者に襲われつつあるアリスの助けを求める声を無視し、一人で家から逃げ出し、ボートでただ一人、感染者たちから無事に逃れるのでした。
ウイルスの発生から15日後、英国本土は隔離措置が取られます。そして28日後には英国本土が壊滅し、生き残った英国民は集団脱出を余儀なくされます。5週後には感染者が飢餓で死に絶え、11週後にはアメリカ軍が主導するNATO各国軍がロンドンへと上陸。18週後には英国で感染の恐れがないことが確認され、24週後には復興が始まります。
そして、映画のタイトルにもある28週後。安全宣言が出されたロンドンでは、先述の軍の管理下で、封鎖された保護区域内の都市の復興が進んでいました。保護区域で暮らし始めたドンの元に、修学旅行先のスペインから子供たちのタミーとアンディが帰ってきます。ドンは子供たちと無事に再会できたことを喜び、保護区域に得た新しい住居は、見晴らしも良く、部屋も立派な内装で子供たちも大満足します。しかし、ドンはアリスを見捨てて逃げ出してしまったことを隠し、子供たちには「母親は死んだ」と伝えます。
その後、アンディは母親の顔を忘れてしまわないかと不安を抱き、姉のタミーはそんな弟を案じます。彼らは母親の写真を持ち帰るため、保護区域をこっそり抜け出し、感染者のいないはずのロンドン市街にあるかつかの自宅へと向かいます。そこで彼らは、奇跡的に生き残っていた母アリスを発見します。しかし、アリスはウイルスに感染しているにもかかわらず発症しない「無症候性キャリア」となっており、彼女の存在が新たな悲劇を引き起こす引き金となります。
アリスが保護区域に連れ戻された後、ドンは妻を見捨てた贖罪の念と再会の喜びからアリスにキスをします。しかし、その行為によってアリスの唾液を通じてウイルスに感染。ドンは瞬く間に凶暴な感染者へと変貌し、保護区域内で次々と人々を襲い始めます。
安全だと思われていたロンドンは再び地獄と化し、NATO軍はレッドゾーン作戦を発動し、感染者と非感染者を見分けず、徹底的な殲滅作戦を開始。生き残ったタミーとアンディ、そして彼らを救おうとする軍の兵士ドイルたちは、感染者と軍、二重の脅威から逃れるための絶望的なサバイバルを強いられます。
一線を画すプロット:これまでのゾンビ映画とは異なる混沌
『28週後…』が他のゾンビ映画と一線を画す点は多岐にわたります。
- 復興からの再崩壊: 多くのゾンビ映画がパンデミック発生直後を描くのに対し、本作は一度感染が落ち着き、復興が始まろうとする段階から再び地獄へと突き落とされるプロットが斬新です。
- 軍による徹底した排除: 感染者を毒ガスや爆撃によって殲滅しようとする軍の冷徹な行動は、倫理的な問題を提起しつつも、これまでの作品にはないスケール感と絶望感を生み出しています。
- 軍からの逃亡: さらに、感染者だけでなく、軍からも命を狙われるという二重の脅威が、主人公たちを極限の状況に追い込みます。生き残った非感染者も、ウイルスの根絶のためなら犠牲にされても構わないという軍の非情な判断は、観る者に深い衝撃と悲しみを与えます。この混沌とした状況は、他のゾンビ映画ではあまり見られない、本作ならではの独自性です。
極限の状況における人間の脆さ:父の嘘と裏切り
この映画の最も衝撃的な幕開けは、まさに人間の脆さを象徴しています。感染者の群れから逃れる際、夫であるドンが、助けを求める妻アリスの声を無視し、彼女を見捨てて一人で逃げ延びるシーンは、観る者に深いトラウマを刻みつけます。

一見すると、ドンは情けなく、妻を見捨てるという酷い選択をしたように思えます。しかし、彼が直面した究極の恐怖と、その瞬間に突きつけられる「自分の命か、他人の命か」という二者択一は、私たち自身の倫理観を揺さぶります。「自分があの状況に陥った際、ドンと同じ選択をしないと言い切れるか?」 この問いかけこそが、このシーンを単なる裏切りとして片付けられない、深く心に突き刺さる理由です。安全な場所へと逃げた後、彼は子供たちに「母親は感染して死んだ」と嘘をつきますが、この「裏切り」と「嘘」が、その後の悲劇の遠因となります。極限状態に置かれた人間が、自らの命を守るために倫理や道徳をいとも簡単に手放してしまう、その生々しいまでの描写は、この作品が単なるホラーではないことを物語っています。
極限状態に光る微かな希望:ドイルというキャラクター
この物語の中で、絶望の淵に差す一筋の光となるのが、米軍兵士ドイルの存在です。

彼は、軍の非情な命令に盲目的に従うのではなく、自身の倫理観や道徳観に基づいて行動します。特に、幼いアンディを「疲れたか? 俺もだ。俺を助けてくれ。姉さんを守ってあげられるか?」と、あえて弱みを見せる形で鼓舞するセリフは、彼の人間性と優しさを象徴しています。これは、アンディに責任感と勇気を与え、困難な状況を乗り越えさせるための、ドイルなりの激励だったのでしょう。
ドイルの存在は、ドンが示唆する「極限下における人間の脆さ」と鮮やかな対比をなします。一方が自らの命のために大切な人を捨てる選択をしたのに対し、ドイルは他者の命、特に子どもたちの命を守るために、自らの危険を顧みず、規律を超えて行動します。この二つのキャラクターの対比こそが、この物語が人間讃歌を完全に捨てさせないポイントなのかもしれません。そして、仲間や子供たちを守るために自ら犠牲になる散り際まで、ドイルはまさに「かっこいい」の一言に尽きます。彼の存在は、絶望的な状況下で唯一の希望の光となり、観客に人間の尊厳を示してくれました。
無症候性キャリアとは:現実のパンデミックとの関連性
アリスが持っていた「無症候性キャリア」という概念は、この映画の重要な要素です。これは、ウイルスに感染しているにもかかわらず、発症しない、あるいは軽症で済むため、自身が感染源となっていることに気づかずにウイルスを他者に拡散させてしまう人を指します。
現実の世界でも、無症候性キャリアはインフルエンザや新型コロナウイルス感染症(COVID-19)などのパンデミックにおいて、感染拡大の要因となることが知られています。例えば、COVID-19では、無症状の感染者からの伝播が確認されており、これがパンデミックを制御する上で大きな課題となりました。『28週後…』では、アリスの無症候性キャリア性が、安全だと信じられていたグリーンゾーンへのウイルスの再導入を許し、再び惨劇が繰り返されるきっかけとなります。
続編『28年後…』との繋がりを考察
2025年に公開された続編『28年後…』
本作との繋がりを考察するのも楽しみの一つです。本作にはいろいろな種類の感染者が登場します。
『28週後…』でアリスの体内で進化した「レイジウイルス」が、その後の28年間でさらに変異し、より強力な感染者を生み出した可能性は十分に考えられます。
アンディやタミーが、無症候性キャリアとしてさらに変異したウイルスを保持し、それが再び拡大したという考察もできます。
ラストシーンについて:パリへのウイルスの拡大、そして救いなきバッドエンド
映画のラストシーンで、舞台はパリへと移り、エッフェル塔の近くで感染者が猛威を振るう様子が映し出されます。この衝撃的なラストは、いくつかの解釈が可能です。
- すでにフランスへ拡大していた: イギリスでの再感染が始まるより前から、何らかの経路でウイルスがフランスへ到達し、水面下で感染が拡大していた可能性。
- アンディとタミーからの感染拡大: アンディとタミーが、ヘリコプターでイギリスを脱出し、そのままフランスへと向かったことで、彼らが知らず知らずのうちにウイルスをフランスに持ち込み、感染が拡大してしまった可能性。特にアンディは無症候性キャリアであったため、彼の存在が感染源となったとも考えられます。
いずれにせよ、このラストはウイルスの脅威が完全に去ったわけではなく、人類の戦いはまだ終わっていないという、新たな絶望と不穏な未来を示唆しています。そして、この結末は、希望を見出しかけた物語が最終的にさらなる絶望へと転じ、まさに救いようのないバッドエンドとして観る者の心に深く刻まれます。続編『28年後…』への繋がりを強く感じさせる結末となっています。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
『28週後…』が描くのは、ただの感染パニックではありません。
人間が最も困難な状況に置かれた時、いかに脆弱になり、そして同時にいかに崇高な行動を取りうるかという、普遍的なテーマを問いかけます。

父の罪と罰、そしてドイルに見る人間讃歌。この対比こそが、本作が単なるエンターテイメントに留まらない、深く心に響く作品である所以です。

ぜひ一度、この戦慄と感動の物語を体験し、あなた自身の人間性を見つめてみては?
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