映画におけるヒーローについて、ちょっと考えてみました。
私、ストレートなヒーローものって、あんまり観ないんですよ。
スーパーパワーを持つヒーローに対して、そこまでエンパシーを感じることは難しいように感じるからです。
だから、マーベルとかDC作品の多くの魅力って、いまいち分からないんですよね。もちろん、好きな人の気持ちを否定するわけではありませんよ。
自分が持ちえない、もの凄い力で以て、壮大なアクションを繰り広げられても、今一つ感動できないんです。特別、スカッとすることもないし、憧れの気持ちなんてもってのほか。ただただ、遠い世界のフィクション。自分とは全くもって関係のない、学びや共感のない映画体験で終わってしまうことが多いんですね。
私が、本当にカッコいいな、こんな風になれたらなと思うのは、自分のように等身大の人間で、特別な力は持たず、人の痛みや悩みを知っている。弱き者の気持ちに寄り添ってくれる。そんな人物なのではないか。そんな風に思うのです。
例えばシルベスター・スタローンが演じた『ロッキー』のロッキー・バルボアのような人物。
彼はかつては栄光に手がかかりそうなボクシングの腕を持ちながら、ピークを過ぎ、借金の取り立て屋のようなことをしている。ボクシングジムでも煙たがれ、周りの友人たちも困窮した暮らしを強いられている。
そんな彼はふとしたことからチャンピオンへの挑戦権を手にするわけですが、それで図に乗るようなことはない。自分の周りの人々をみんな救おうとし、かつ、自分の尊厳を取り戻すため、最後まで倒れない。
底辺から這い上がろうと、仲間と協力しながら必死にもがく姿。そして最後まで諦めない。勝てなくても倒れずに頑張る。そういうところに心から感動してしまうのです。

また、『七人の侍』で三船敏郎演じた菊千代も心の底からカッコいいなと私は思います。痺れます。
他の侍たちも百姓という弱い者のために、金銭を受け取らずに命を掛けて族と闘う姿は勇ましいのですが、菊千代だけは別格。彼だけが、百姓の気持ちを理解できる。なぜなら、彼も百姓出身だからです。
百姓たちが落ち武者狩りをして、刀や鎧を床下に隠していたことが露見し、他の侍たちは激怒するシーンがあるんですが、菊千代だけはむしろ侍たちの方に怒りをぶつけます。唾も涙も飛ばして叫ぶ、魂の咆哮です。
当時、侍というのは、なろうと思ってそう簡単になれるものではなかったんですね。武家のもとに生まれ、武士としての教育を受けて育ったものだけがなれる。そういった形式がほとんどだったそうです。
「よく聞け!百姓ってのはな、ケチンボで狡くて 泣き虫で意地悪で間抜けで人殺しだ! 悔しくて涙が出らぁ だがな、そんな獣を作りやがったのは一体誰だ おめえたちだよ 侍だってんだよ! 戦のたびに村を焼く! 田畑は踏ん潰す! 食い物は取り上げる! 人夫はこき使う! 女は犯す! 手向かえば殺す! 一体百姓はどうすりゃいいんだ! 百姓はどうすりゃいいんだ、百姓は、畜生、畜生、畜生、畜生」
そんな悔しい気持ちでいっぱい。でも侍に憧れる。そんな彼にも私は痛く共感してしまうのです。

人種や差別を越えて人と人が分かり合うこと、そして学び続けること、偏見を捨てて成長を続けようと努めることの尊さを教えてくれる人物というのも、ヒーローと言えるのではないでしょうか。
『グラン・トリノ』でイーストウッドが演じた老人。
もの凄く偏屈で頑固な白人老人が、アジア系の移民少年との交流を経て、人と繋がることの素晴しさを実感するという、そういったストーリーなんですが、彼からは歳をとっても謙虚でいることというか、素直な気持ちで人と接することの大切さを学ぶことができるんですよね。
そして彼もまた、弱き者の立場を心底理解し、最後はその場に立って悪を裁くんです。

同じくイーストウッド監督の映画でいうと、『インビクタス/負けざる者たち』で、モーガン・フリーマンが演じたネルソン・マンデラもたまらない。
ご存じの通り、ネルソン・マンデラは実在した人物。ラグビーでもって、白人と黒人の間の溝、人の心を洗おうと試みて、成功を納めたそれはそれは偉大なリーダーでした。彼の存在無くして、今日の南アフリカの発展は有り得ないでしょう。オリンピックを始めとするスポーツの祭典というものの、本当の意義とは、国威を示すだけのものではない。そんな大事なことを思い出させてくれます。本物のヒーローと言えますね。

愛を信じて闘う姿にも、強い憧れと尊敬の念を抱いてしまいます。
例えば『インターステラー』でマシュー・マコノヒーが演じたクーパー。
彼は人類を救うために、愛する家族と離れ、宇宙へと旅立ちます。宇宙での時間の経過は、地球よりも遥かにゆっくりで、子どもたちとはもう二度と会えないかもしれない。そんなリスクを背負って旅立ちます。
喧嘩別れのようになってしまった、最愛の娘。彼は娘と再会するために、遠い宇宙の彼方で過酷な旅を続けます。そして最後は娘との絆を信じて、愛の力で時空を越える。
ここまで人を愛し、信じ抜くことができたなら。どんなに素敵だろうかと感じることができます。

『ベルリン・天使の詩』の天使たちが、人間に寄り添って優しい愛を与えるのもたまらない。
あの映画って、実は裏設定があるんです。
第二次世界大戦で殺し合う人間たちに嫌気がさした神が人間を滅ぼそうとするんですね。そして、人間と神の間の存在である天使たちは、神に逆らいます。その結果、神は当時人間界で一番酷い場所であったベルリンに天使たちを閉じ込めた上、天使としての力のほとんどを奪ってしまうんですね。
彼らはほんの少し人を安心させるだけの力しか使えない。少しだけ気持ちが穏やかになるとか、ポカポカしたような心地にさせるだけ。それを越える絶望を抱えた人間を救うことができません。何とも歯がゆい。
人間たちが日々の生活に苦しみ、悩み、悶絶し、自死しようとするような姿を視ても、眺めることしかできないわけです。
それでも彼らは、人間たちを愛し、信じている。そんな姿に胸が熱くなるのです。

特別な力がないからこそ、共感できるし、身に沁みる。
映画で心が動く瞬間って、まさにそういうものなのではないかと思うんです。
ロッキー、菊千代、マンデラ、クーパー、天使たち。
そういうキャラクターに出会えることを期待して、今日も映画を観ます。
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