『小学校〜それは小さな社会〜』英題が問いかける日本人の作り方

映画

山崎エマ監督のドキュメンタリー『小学校〜それは小さな社会〜』を観ました。

本作は、日本とイギリスにルーツを持ち、客観的な視点から日本社会を捉えてきた監督が、日本の公立小学校の一年間に密着した作品です。

本作は、コロナ禍という困難な状況下においても教育を諦めない教員たちの情熱や、厳しいルールの中でも協力し合い、楽しむことに対して正直に生きようとする子どもたちの姿を映し出しています。

一見すると、逆境に負けない教育現場を描いた「いい映画」に見えますが、その感動の裏側にある構造を、私たちは慎重に審議しなければなりません。

ダニー
ダニー

ハートフルな映画じゃないの??

bitotabi
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英題の『The Making of a Japanese』――「日本人の作り方」という言葉が示唆するように、そこにはある種の製造工程のような、規律による統制の凄みが漂っているからです。

杉田洋教授が提示する「補助線」

映画の序盤、國學院大學の杉田洋教授による言葉が紹介されます。

「社会と個人の関係の中で自分はどうあるべきかを判断する機会が小学校にはあり、それが自分らしさになる」

そして何より重要なのが、

「日本の集団性と協調性の強さは世界が真似たいほどのものである一方で、諸刃の剣でもある」

という指摘です。

この言葉を序盤に聞いているかどうかで、映画の解像度は劇的に変わります。

集団主義的な日本人の美徳を育てる「質の高い教育現場」として本作を眺めるのか、それともその美徳の正体を問い直すのか。

監督があえて冒頭に杉田教授の言葉を差し込んだのは、観客にその「是非」を常に問い続けるための装置だったに違いありません。

規律という名の「装置」の正体

コロナ禍のマスク着用や黙食といったルールは、日本の教育が元来持っている「統制」の文化を際立たせていました。

特に、大勢の前で児童を厳しく叱責するシーンなどは、現代の感覚では違和感を覚えます。そこには、戦前戦時中の軍国主義教育から地続きの「型」が見え隠れします。

掃除を自分たちで行う自治の精神は素晴らしい描写ですし、日本の教育の素晴しさを語る上で取り上げられやすい話題です。しかし、掃除が「世界的に見て珍しい日本の美徳」として語られる際の根拠には注意が必要です。

実は、こうした言説の多くは1984年に発行された沖原豊編著『学校清掃―その人間形成的役割』という40年以上前のデータを基に語られ続けています。私たちは、現代において再検証もされていない古い「神話」の中で、諸刃の剣を研がされてきたのかもしれません。

外国の学校では、子どもは掃除しないらしい。はたしてその外国とはどこでしょうか。欧米、先進国だけなのではなかろうか。一旦立ち止まって考えたいところです。



「失敗」をめぐる教育観の対比

劇中の教師たちの多くは「あえて失敗させて成長を促す」というスタンスを取っています。

ミスをした児童をピックアップして注意し、それを他の児童に向かっても示すことで、全体を締める効果を狙っている様子が強く伺えます。音楽の練習の時が特にそうでしたね。

一方で、私も長年教育現場に携わっていますが、私の場合は、むしろ「いかに失敗させずに成功体験を積ませるか」ということにフォーカスしてきました。

しかし、この「いかに失敗させずに成功体験を積ませるか」というアプローチもまた、周囲のレベルや価値観で想定された「失敗」をしないという型に、子供を嵌めてしまう可能性を孕んでいます。

失敗を強いる型か、失敗を回避させる型か。そのどちらもが「Making(製造)」という営みの一部ではないかという問いは、教育に携わる者として非常に重いものです。

ただ、教員ごとのこうした教育方針の「ぶれ」こそが、多様な大人や価値観が存在する現実社会の縮図として機能しているのも事実でしょう。教員も人間ですから、背景や考え方も様々。

監督が風景に込めたメッセージ

劇中に挿入される「同じような家が整然と並ぶ景色」のカット。これも序盤に観られました。

監督があえてこの映像を入れたのは、日本の教育がもたらす均質性への、ある種の批判的視点ではないかと感じました。

磨き上げられた協調性は、できない人や「違う」人を爪弾きにし、凶弾する力へと容易に転じます。あの画一的な住宅街の風景は、はみ出すことへの恐怖と隣り合わせの安心感を象徴しているように思えてなりません。



「型」の隙間から溢れる子どもの生の声

厳しい規律や画一的な指導が強調される一方で、映画は子どもたちの瑞々しい「生の声」も確かに捉えています。6年間システマチックに見える教育を受けてきたにもかかわらず、そこには確かな自由さや朗らかさ、そして優しさが息づいています。

特に、放送委員の6年生男女が、時に真剣に、時にユーモラスに、時には少し照れながら意見を交わす姿は、美しく尊い一幕でした。大人も驚くような自律性や努力、そして仲間との純粋な関わり合いは、与えられた枠組みの中で、子どもたち自身の感性で社会と向き合い、協力することや楽しむことの真髄を見つけ出そうとしている証拠です。

これもまた、この「小さな社会」で営まれているかけがえのない教育の側面なのです。

今日の映学

最後までお読みいただきありがとうございます。

本作を観ても、現在の日本の小学校教育が「正しい」と断言できるわけではありません。結局のところ、それはキリのない問いなのかもしれません。

しかし、時代の移り変わりと共に変えていくべきことと、揺るがない信念として守り続けるべきこと。この両極の間で、私たちは常に考え続けなければならないでしょう。

小学校という小さな社会で育まれた資質が、未来を支える土台となるのか、それとも集団に埋没する呪縛となるのか。その答えを導き出すためにも、導き手である私たち大人が、問い続ける頭を持つことこそが何よりも重要なのだと、この映画は強く訴えかけているように思えます。

bitotabi
bitotabi

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ダニー
ダニー

価値観が揺らぎやすい今、真剣に考えたい映画だったね。

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