映画史上、最も議論を呼ぶ主人公の一人であるトラヴィス・ビックル。
モヒカン刈りに軍用ジャケットという彼のスタイルは、今や孤独な反逆者のアイコンとなっています。
しかし、彼がパランタイン上院議員を暗殺しようとした真の動機や、その行動に漂う奇妙な「滑稽さ」については、意外と見落とされがちです。

確かに、「なんで?」って行動が度々見られるよね。

今回は、トラヴィスという男の精神構造を詳しく紐解いていきます。
1. なぜパランタインを狙ったのか:暗殺未遂の深層
トラヴィスが大統領候補のパランタインを暗殺しようとした理由は、特定の政治的思想によるものではありません。彼にとってパランタインは、自分を拒絶したベッツィが心酔する選ばれし者であり、同時に街を浄化すると言いながら具体的な行動を起こさない偽善の象徴でした。孤独な自分を無視し続ける世界に対し、最も衝撃的な一撃を加えることで、彼は何者かになりたかったのです。

この政治家を狙うという衝動の背景には、1963年のケネディ大統領暗殺事件以降、アメリカ社会に深く刻まれたトラウマが見え隠れします。かつての暗殺が政治的陰謀を想起させたのに対し、本作が描くのは、トラヴィスのようなどこにでもいる孤独な男が、ふとした瞬間に凶弾を放つ存在へと変貌してしまう不気味さです。絶対的な権力者であっても、一人の無名な男の絶望によって命を奪われ得るという、当時のアメリカが抱えていた剥き出しの脆弱性が、彼の銃口には宿っています。
こうした映画の毒気は、後に現実の世界で最悪の形で模倣されることになります。1981年に起きたレーガン大統領暗殺未遂事件の犯人、ジョン・ヒンクリー・ジュニアは、本作に心酔し、アイリス役のジョディ・フォスターに執着した末に凶行に及びました。ケネディ暗殺の記憶が生々しく残る社会で、映画が描いた孤立した男の承認欲求の暴走が現実の歴史をも侵食してしまった事実は、トラヴィスというキャラクターが持つ底知れないリアリティを何よりも雄弁に物語っています。

2. 滑稽さと哀れみの表裏一体:歪んだ自己愛の行方
トラヴィスの行動には、常に痛々しいほどの滑稽さがつきまといます。鏡に向かって「俺に用か?」と独り言を繰り返す有名なシーンは、一見するとタフな男の象徴ですが、その実態は自分を愛してくれる者が誰もいない部屋で、自分が作った「理想の自分」に語りかけているだけの虚しい儀式です。

隠し銃の装置を自作して悦に浸る姿も、軍人としての規律というよりは、ヒーローごっこに没頭する少年の背伸びのようです。特に、意中の女性との初デートにポルノ映画館を選んでしまう致命的な社会性の欠如は、彼の不器用さを通り越して、ある種の絶望を感じさせます。彼は「現実の他者」との距離を測る物差しを持たず、自分の頭の中にある「男らしさのテンプレート」を現実に無理やり当てはめようとして失敗し続けているのです。自分をタフな男だと信じ込もうとすればするほど、観客の目には彼の孤立が無惨で、どこか滑稽に映ります。そのズレが大きければ大きいほど、私たちは彼に対して単なる恐怖だけでなく、深い哀れみを感じずにはいられません。
3. 狂気が正義へとすり替わる危うさ:暴力の「解釈」
パランタイン暗殺に失敗したトラヴィスは、その矛先を少女アイリスの救出へと転じます。ここで重要なのは、彼の中にある暴力の性質自体は何も変わっていないという点です。もし彼が当初の計画通り暗殺に成功していれば、彼は歴史に名を残す極悪人になっていたはずでした。
しかし、暴力の対象が「少女を搾取する悪党」へと偶然すり替わった瞬間、彼の狂気は社会的な正義へと反転します。凄惨な銃撃戦の結果、彼は殺人鬼ではなく、少女を救った英雄として新聞に載ることになりました。私たちがこの映画に抱く言いようのない恐怖は、暴走する狂気そのものよりも、それが状況次第で容易に正当化され、称賛されてしまう社会の危うさにあるのかもしれません。暴力は常に暴力でありながら、その出口によって白にも黒にもなるという不条理な真実を、この映画は突きつけています。

今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
トラヴィス・ビックルは、決して遠い世界の異常者ではありません。誰しもが抱く認められたいという欲求や、社会への疎外感が、出口を見失った時に現れる極端な姿なのです。
近年、オーストラリアを皮切りに、若者のSNS使用を制限・禁止しようとする動きが世界的に広まっています。

誹謗中傷や依存から守るための策ではありますが、一方で懸念されるのは、行き場を失った孤独の行方です。SNSという社会と繋がれる唯一の回路を断たれたとき、その鬱屈したエネルギーは、日常に埋没して矮小化されていくのでしょうか。
あるいは、トラヴィスのように、世界に己を刻み込もうとする苛烈な事件を誘発する引き金となってしまうのでしょうか。
彼が最後にタクシーを走らせる夜の街は、現代の私たちが生きる世界とも地続きです。
トラヴィスの滑稽なまでの足掻きは、繋がりを遮断され、孤立を深める現代社会において、より現実味を帯びた警鐘として私たちの心に響き続けています。

トラヴィスを俯瞰して見られない人が、そこそこ多いのが現代なのかもしれない。そんな風に思わずにいられませんでした。

これは映画だ!ってのをしっかり分かりながら観られるかどうかだね。
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