Goooooood morning, Vietnam!
『グッドモーニング、ベトナム』を鑑賞しました。
ベトナム戦争への反戦の想いを、笑いと切なさを織り交ぜて作られた超傑作です。

実際の人物をモデルにしてるんだって!

その点も詳しく解説しつつ、映画について掘り下げていきましょう。
作品概要
映画『グッドモーニング、ベトナム』は、バリー・レヴィンソン監督によって、単なるコメディドラマに留まらない、深いメッセージが込められた作品として世に送り出されました。
撮影の背景には、1980年代後半という時代が大きく影響しています。ベトナム戦争終結から時が経ち、その傷跡が癒えつつある一方で、戦争の悲劇や教訓を改めて見つめ直す機運が高まっていました。レヴィンソン監督は、エイドリアン・クローナーという実在の人物の体験を基にしながら、戦争の不条理さ、そしてその中で生きる人々の人間性を描き出そうとしました。
撮影は、ベトナムではなく主にタイで行われました。異国情緒あふれる風景が、当時のベトナムの雰囲気を醸し出しています。また、一部アメリカ国内でも撮影が行われました。
この映画には、ベトナム戦争に対する強い反戦の思いが込められています。直接的な戦闘シーンだけでなく、戦地で暮らす人々、そして故郷を遠く離れた兵士たちの日常を通して、戦争がもたらす喪失感や無意味さが描かれています。
さらに、クロンナウアーとベトナムの人々との交流を通して、アメリカ社会における人種差別意識に対する問いかけも感じられます。クロンナウアーは、肌の色や文化の違いを超えて、一人の人間として彼らに接しようとします。彼の自由な放送スタイルは、軍の保守的な体質や、時に見られる差別的な視点に対するアンチテーゼとも言えるでしょう。
あらすじ: 1965年、ベトナム・サイゴンに赴任した米軍放送局のDJエイドリアン・クロンナウアー。彼の型破りな放送は、兵士たちの間で絶大な人気を博しますが、軍上層部からは反発を買います。自由な精神を持つクロンナウアーは、ベトナムの人々とも心を通わせる中で、戦争の現実を目の当たりにしていきます。ユーモアと音楽を武器に、閉塞した状況に風穴を開けようとするクロンナウアーの姿を通して、戦争の悲劇と人間の温かさが描かれます。
キャスト:才能が織りなす人間模様
『グッドモーニング、ベトナム』は、ロビン・ウィリアムズをはじめとする才能豊かなキャストたちの演技によって、その感動とユーモアがより一層深みを増しています。
ロビン・ウィリアムズ(エイドリアン・クロンナウアー役)
出演の影響: この作品は、ロビン・ウィリアムズにとって、コメディアンとしての才能だけでなく、シリアスな演技も高く評価される転機となりました。彼の即興的なアドリブを織り交ぜたラジオDJのパフォーマンスは、観客を笑いの渦に巻き込む一方で、戦争の悲劇に直面した時の繊細な表情は、観る者の心を強く打ちます。この映画での演技によって、彼はゴールデン・グローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、アカデミー主演男優賞にもノミネートされました。
演技の評価: ウィリアムズの演技は、まさに圧巻の一言です。エネルギッシュでユーモアに溢れたDJの姿と、戦争の現実を前に苦悩する姿を見事に演じ分け、観客を惹きつけました。彼の人間味あふれる演技は、単なるコメディ映画としてだけでなく、心に深く残るドラマとしてこの作品を昇華させました。
フォレスト・ウィテカー(エドワード・ガーリック役)
出演の影響: フォレスト・ウィテカーにとって、この作品は初期の重要な出演作の一つと言えるでしょう。彼は、クロンナウアーの良き理解者であり、時に彼を支える兵士ガーリックを演じました。この役を通して、ウィテカーは、繊細で人間味のある演技ができる俳優として、その才能を広く知らしめました。1989年には、この映画を含む演技でサン・ジョルディ賞の最優秀外国男優賞を受賞しています。
演技の評価: ウィテカーは、控えめながらも温かいガーリックを見事に体現しました。クロンナウアーの奔放さとは対照的な、彼の静かで誠実な演技は、物語に深みと落ち着きを与えました。二人の間の友情は、映画の重要な心の拠り所となっています。
チンタラー・スカパット(トリン役)
出演の影響: タイ出身のチンタラー・スカパットにとって、このハリウッド映画への出演は、国際的な注目を集める大きな機会となりました。彼女が演じたトリンは、ベトナムの女性としての強さと優しさを持ち合わせており、クロンナウアーとの心温まる交流は、異文化間の理解を描く上で重要な要素となりました。彼女はこの映画での受賞はありませんが、タイ国内では高い評価を得ており、スパンナホン賞主演女優賞などを受賞しています。
言語の壁について: 撮影当時、チンタラー・スカパットさんは英語を流暢に話せたわけではありませんでした。彼女は、共演のロビン・ウィリアムズや監督のバリー・レヴィンソンとのコミュニケーションにおいて、言葉の壁を感じることもあったようです。しかし、彼女は持ち前の表現力と真摯な姿勢で、トリンというキャラクターを見事に演じきりました。言葉を超えた彼女の演技は、クロンナウアーとの間の微妙な感情の機微を伝え、観客の心に深く響きました。

戦地へ向かう彼らへ…
映画の中に登場するアメリカ兵たちは、故郷を遠く離れ、見知らぬ土地で、明日をも知れぬ戦いに身を投じています。クロンナウアーは、そんな彼らにラジオを通して笑いを届け、音楽を届け、束の間の安らぎを与えようとします。
特に胸を締め付けるのは、クロンナウアーが、これから戦地へ向かう若い兵士たちを前に、言葉を交わし、彼らの背中を見送るシーンです。彼らの瞳には、不安や覚悟、そして故郷への想いが入り混じっているように見えます。クロンナウアーもまた、彼らの未来を案じ、言葉にならない感情を抱いているのではないでしょうか。

そして、このシーンの後に流れるルイ・アームストロングの『この素晴らしき世界(What a Wonderful World)』が、観る者の心を深く揺さぶります。美しいメロディーと温かい歌声に乗せて映し出されるのは、緑豊かなベトナムの風景、人々の顔、そして、その裏側で進行していく戦争の現実です。
「青い空、白い雲、明るい昼、暗い夜。そして僕は思う、なんて素晴らしい世界だ」
サッチモの優しい歌声が、その後に続く破壊された村や、傷ついた人々の姿と重なり合う時、希望と絶望、美しさと残酷さ、平和への願いと戦争の悲劇が、強烈なコントラストとなって迫ってきます。
ベトナムを「めちゃくちゃにするアメリカ人たち」。しかし、そこで戦っている兵士たちの多くも、故郷を愛し、平和を願う若者たちだったはずです。彼らもまた、戦争の犠牲者と言えるでしょう。そんな複雑な感情が、この歌と映像によって見事に表現されています。
このシーンは、戦争の愚かさ、そしてその中で生きる人々の複雑な感情を、言葉以上に深く物語っているのではないでしょうか。
ラストシーンについて:故郷への切なる願い
映画の終盤、エイドリアン・クロンナウアーはベトナムを去ることになります。その別れの際に彼が口にする最後のセリフは、映画全体を象徴する、深く心に残るものです。
「グッドバイ、ベトナム!」
そして彼は続けます。
「There’s no place like home! There’s no place like home! There’s no place like home!」 (我が家に勝る場所はない!我が家に勝る場所はない!我が家に勝る場所はない!)
このセリフは、「オズの魔法使い」の主人公ドロシーが、故郷カンザスへ帰るために、魔法の靴のかかとを三度打ち鳴らしながら唱える有名な呪文へのオマージュです。

「オズの魔法使い」オマージュの意味
このオマージュには、いくつかの層になった意味が込められていると考えられます。
- 故郷への強い憧憬と帰還への願い: ベトナムの激しい戦場に身を置く兵士たちにとって、「故郷」は心の拠り所であり、何よりも帰りたい場所でしょう。クロンナウアー自身もまた、異国の地での任務を終え、安息の地である故郷への帰還を強く願っています。ドロシーが魔法の力で故郷へ戻ろうとするように、クロンナウアーのこのセリフには、切実な帰郷への願いが込められています。
- 戦争からの解放の象徴: ドロシーがオズの魔法の国での冒険を終え、現実の世界へと戻るように、クロンナウアーにとっても、ベトナムでの経験は長く、時に過酷な冒険だったと言えるかもしれません。彼のこのセリフは、戦争という非日常からの解放、そして平穏な日常への回帰を象徴しているのではないでしょうか。
- 皮肉と現実逃避の狭間で: クロンナウアーの「There’s no place like home!」は、純粋な望郷の念であると同時に、ベトナムでの理不尽な出来事や軍の検閲といった現実から目を背けたい、ある種の現実逃避の願望も含まれているのかもしれません。彼がラジオを通して兵士たちに提供したのは、現実の厳しさから一時的に目を背けられる、夢のような時間だったとも言えます。
この「オズの魔法使い」へのオマージュによって、クロンナウアーがベトナムで直面した戦争の現実と、彼が兵士たちに届けようとした希望や安らぎが、より鮮明に対比されます。彼のキャラクターの複雑さ、そして戦争という状況下における人間の感情の多面性が、この短いセリフに凝縮されていると言えるでしょう。

このラストシーンのセリフは、観る人それぞれに異なる感情を呼び起こす力を持っていると思います。あなたは、このセリフを聞いた時、どのように感じましたか?
爆破事件報道と軍の思惑:情報統制と表現の自由
映画の中で、エイドリアン・クロンナウアーが「ジミー・ワウズ」というGIバーで起こった爆破事件をラジオで報道しようとする場面があります。しかし、軍上層部はこれを強く阻止しようとします。この出来事は、戦時下における情報のコントロール、そして表現の自由という重要なテーマを浮き彫りにしています。
軍上層部がクロンナウアーの報道を阻止しようとした主な理由は以下の通りです。
- 兵士の士気維持: ベトナム戦争は長期化し、戦況は決して楽観視できるものではありませんでした。そのような状況下で、爆破事件のような悲惨なニュースが広まれば、兵士たちの間に不安や厭戦気分が蔓延する可能性がありました。軍としては、兵士の士気を高く保ち、戦闘意欲を維持することが最優先だったのです。
- 情報統制の徹底: 軍は、ラジオ放送を兵士向けの重要な情報伝達手段と捉えており、放送内容は厳しく検閲されていました。都合の悪い情報や、軍のイメージを損なう可能性のある情報は、徹底的に排除しようとしていました。爆破事件は、まさにそうした「都合の悪い情報」に該当すると判断されたのです。
- プロパガンダの維持: 軍は、自軍の優位性や戦争の正当性を強調する情報を積極的に発信していました。爆破事件の報道は、ベトコンの脅威を強調することにも繋がりかねず、軍が描く「勝利に向かう」というプロパガンダに矛盾する可能性がありました。
- クロンナウアーの排除: ホーク少尉やディカーソン軍曹といったクロンナウアーの上官たちは、彼の自由奔放な放送スタイルを快く思っていませんでした。爆破事件の報道を試みたことは、彼らにとってクロンナウアーを排除するための格好の口実になったとも言えるでしょう。
一方、クロンナウアーは、兵士たちにとって真実を知る権利があると考えていました。彼は、軍が発表する一方的な情報だけではなく、実際に起こった出来事を伝えることこそが、DJとしての自分の役割だと感じていたのではないでしょうか。また、爆破事件で亡くなった人々への哀悼の意も込めたかったのかもしれません。
この対立を通して、映画は、戦時下における情報の操作がいかに行われ、それが人々にどのような影響を与えるのかを問いかけます。クロンナウアーの行動は、表現の自由の重要性、そして権力による情報統制への抵抗を示唆していると言えるでしょう。
実在の人物、エイドリアン・クローナー:戦場の陽光
映画『グッドモーニング、ベトナム』の心臓には、エイドリアン・クローナーという一人のアメリカ空軍軍曹の、紛れもない実体験が脈打っています。1965年、彼はサイゴンの米軍放送局に赴任し、そこで朝のラジオ番組「ドーン・バスター」のDJを務めました。
映画の中でロビン・ウィリアムズが演じたように、現実のクローナーもまた、型破りでユーモアに溢れた人物でした。彼は、軍の検閲に時には目を瞑りながら、兵士たちが本当に聴きたい音楽、心に響く言葉を選び、届けようとしました。彼の番組は、単調な日常を送る兵士たちにとって、故郷を思い起こさせ、心を解き放つ、かけがえのない時間だったのです。
「Goooooood morning, Vietnam!」
この特徴的な挨拶は、映画を通してあまりにも有名になりましたが、実際にクローナーが番組の冒頭で叫んでいたものです。それは、疲弊した兵士たちを力強く励ます、希望の光のような響きを持っていたことでしょう。
映画では、彼の自由な言動が軍上層部との衝突を生みましたが、現実のクローナーも、常に smooth に事が運んでいたわけではありません。しかし、彼の根底には、遠い異国の地で戦う兵士たちを元気づけたい、少しでも心の支えになりたいという強い想いがあったのです。
映画のように劇的な事件やロマンスがあったわけではありませんが、クローナーのラジオ番組は、多くの兵士たちの孤独を癒し、士気を高める上で、重要な役割を果たしました。彼の声は、戦場の喧騒の中で、一服の清涼剤のような存在だったのです。
後にクローナーは、映画の大成功によって得た資金で法律学校に通い、弁護士となりました。しかし、彼にとってベトナムでのラジオDJの経験は、その後の人生においても特別な意味を持つものだったでしょう。「グッドモーニング、ベトナム」という言葉は、彼自身の人生と、多くの兵士たちの記憶に、永遠に刻まれたのです。
映画は、クローナーの経験を基にしながらも、エンターテイメントとして大胆な脚色が加えられています。しかし、その根底にある、戦場の兵士たちに笑顔と希望を届けようとした一人のDJの魂は、確かにこの映画の中に息づいています。
今日の映学
最後までお読みいただきありがとうございます。
『グッドモーニング、ベトナム』は、一見すると型破りなDJの活躍を描いたコメディドラマのように映ります。しかし、その底流には、ベトナム戦争という悲劇に対する、静かで、しかし力強い問いかけが息づいています。
ロビン・ウィリアムズ演じるエイドリアン・クロンナウアーのユーモアは、戦場の重苦しい空気を一瞬でも忘れさせ、兵士たちの心を解き放ちます。しかし、彼がベトナムの人々と触れ合い、戦争の現実を目の当たりにするにつれ、その笑顔の奥には、やるせない悲しみと怒りが宿っていきます。
ルイ・アームストロングの美しい歌声が流れる中で映し出される、破壊された風景や傷ついた人々の姿は、戦争がいかに人間の尊厳を踏みにじり、命を奪っていくのかを、痛烈に訴えかけます。
そして、クロンナウアーの最後のセリフ、「There’s no place like home!」は、故郷への切実な願いと共に、この異質な地で繰り広げられた、無意味な戦いへの深いアンチテーゼとして響きます。

この映画は、笑いと涙を通して、戦争の愚かさ、そしてその中で生きる人々の複雑な感情を鮮やかに描き出しました。時代を超えて、私たちに平和の尊さ、そして人間性の輝きを改めて教えてくれる、不朽の名作と言えるでしょう。

今もこんな闘いが、どこかで起こっていると思うとやるせないね。
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