『バラード・オブ・ソルジャー』レビュー:国威高揚の対極にある、若き愛と、はかないシャボン玉の物語

映画

ソ連製作の戦争映画と聞いて、多くの人が想像するのは、勇壮な戦闘シーンや国威高揚のメッセージかもしれません。

しかし、グリゴーリ・チュフライ監督の傑作『バラード・オブ・ソルジャー』は、その対極にあります。この映画が描くのは、英雄ではなく、一人の純粋な若者アリョーシャの、たった6日間の短い旅路。

そこにあるのは、戦争という非情な背景の中で輝く、人間的な温かさと、哀しいほどに短い愛の物語です。

bitotabi
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これは、かなり感動します。プロットが非常にいい。

ダニー
ダニー

最近公開された『チェンソーマンレゼ篇』に登場した映画でもあるんだよね!

作品概要・あらすじ

悲劇的なプロローグ

映画は、ナレーターの静かな声で始まります。それは、この物語の主人公である19歳の兵士、アリョーシャ・スクヴォルツォフが、この戦争から故郷に帰ってくることはなかったという、悲しい結末を最初に告げるものです。



英雄の「褒美」

第二次世界大戦下の東部戦線。若き兵士アリョーシャは、偶然と反射的な行動からドイツ軍の戦車を2両撃破するという手柄を立てます。この手柄に対し、彼を英雄に仕立て上げたい司令官は勲章を授与しようとしますが、アリョーシャが願ったのは、故郷の村の母親に会うための6日間の休暇と、家の屋根を直すための時間でした。

故郷への長い道のり

アリョーシャは、貴重な6日間の休暇を使って故郷へ急ぎますが、当時のソ連国内の移動は困難を極め、貴重な時間は次々と失われていきます。

旅の道中、彼は次のような人々と出会い、持ち前の優しさから彼らを助けるために時間を費やします。

負傷兵ヴァーシャ:片足を失い、妻が自分を拒絶するのではないかと不安で家に帰るのをためらう兵士を励まし、妻が彼を温かく迎えるのを見届ける。

戦友の妻:戦場で出会った戦友から、妻へのプレゼントである貴重な石鹸を預かりますが、妻が夫の留守中に浮気をしていたことを知り、石鹸を預かることを拒否し、代わりに戦友の老父に届けます。

少女シューラ:軍用貨物列車に密航していたシューラと出会います。最初は警戒していた彼女ですが、アリョーシャの純粋な優しさに触れるうち、二人の間には純粋な愛が芽生えます。しかし、彼らは目的地が違うため、恋心を抱きながらも駅のホームで別れを告げます。

    短い再会、永遠の別れ

    人々を助けることに時間を費やしたアリョーシャに残された時間はわずか数時間。彼は故郷の村ソスノフカにたどり着きますが、母親と会えたのは、あまりにも僅かな時間。たった数秒間抱き合うだけでした。

    涙を流す母親に「必ず帰ってくる」と誓いの言葉を残し、再び前線へと引き返していくのでした。

    ナレーターは最後に、アリョーシャが二度と帰ることはなく、遠い異国の地で埋葬されたことを改めて告げ、映画は静かに幕を閉じます。

    国威掲揚ではない、戦争の裏側にいる「個」の物語

    アリョーシャが戦功の褒美としてもらったのは、休暇と、戦車を修理する時間。彼は迷わず故郷の母に会うために旅に出ます。この旅路で出会う人々との交流こそが、この映画の核心です。

    負傷兵、夫の帰りを待たず浮気した妻(及び彼の父親)、そして後に恋に落ちる少女シューラ。

    彼らは皆、戦争という巨大なうねりの中で生きる、「戦争をしている国の人にも色々いる」という事実を静かに示してくれます。

    砲弾が飛び交う戦場ではなく、人々の生活の中で、互いに助け合い、優しさを分け合う姿は、「こういう温かい映画を作ろうとしてるのがいい」という、監督の強いヒューマニズムを感じさせます。戦争を賛美するのではなく、戦争が奪う「日常の優しさ」の尊さを、そっと教えてくれるのです。

    bitotabi
    bitotabi

    戦争しているからその国が悪いということではなく、それに巻き込まれている人々、また闘っている人にもいろいろいるんだということを静かに教えてくれます。



    落ちていくシャボン玉が示唆するもの

    物語のワンシーンで、子どもが吹いたシャボン玉を、シューラが手で受け止めようとするシーンがあります。

    ストーリーとは特に関係なシーンなのですが、だからこそ、このシーンには深いメッセージがあるのではないかと私は思います。

    虹色に輝き、ふわりと浮かんだかと思えば、すぐに落ちていってしまうシャボン玉。

    これは、彼らが束の間手に入れた「若さと愛と平和」あるいは「戦争で消えていく儚い命」を象徴しているのではないでしょうか。

    戦争の影が忍び寄り、いつ弾けて消えるか分からないはかない希望の象徴。

    そして、シャボン玉が「落ちていく」動きは、二人の純粋な愛が、戦争という現実に阻まれ、悲劇的な運命にあることを示唆しているようにも感じられます。

    bitotabi
    bitotabi

    シューラが無邪気な笑顔で優しくそれを受け止めようとするのも、シャボン玉をアリョーシャと重ねているように捉えられますね。

    「再会」が分かっていても涙腺が緩む、非情な構造

    この映画が観客の感情を深く揺さぶるのは、その物語の構造にあります。物語は冒頭、アリョーシャが「帰ってこない」というナレーションから始まります。

    私たちは最初から、この純粋な青年が再び戦場へ赴き、戦死してしまうという結末を知っています。だからこそ、彼の母への一刻を争う旅、シューラとの短い恋の瞬間、そして待ち望んだ母との再会が叶う瞬間が、まるで時限爆弾のように感じられるのです。

    物語のクライマックスは母子の再会であることは、容易に想像できるわけですが、「再会が分かっていても泣ける」のは、その後の永遠の別れが予期されているためです。

    わずか数秒の抱擁の時間が、この親子の最後だと知っているからこそ、その重みが観客の胸に深く突き刺さります。

    冒頭に「帰ってこないシーンを始めに見せる」この手法こそが、戦争の非情さと、残された時間の尊さを際立たせているのです。

    戦争はいつ終わるの?

    アリョーシャが故郷に戻った僅かな時間、村に残された女性たちは「戦争はいつ終わるの?」という問いアリョーシャに投げかけます。

    母子の再会に水を差してでも、また、若者の兵士の一人でしかないアリョーシャがそんなことを知っておろうはずもないのに、です。

    戦争が人々に与える精神的苦痛と肉体的疲労。

    それは、あまりにも重い。

    そういった戦争が人々の心身に与える苦痛を物語るシーンなのではないでしょうか。

    さらに、「私の子は生きているの?」と問いかけるシーンもあります。

    アリョーシャと母だけでなく、ドラマでは描かれない、同じような苦しみを持つ人々がたくさんいるということを感じさせます。

    今日の映学

    最後までお読みいただきありがとうございます。

    『バラード・オブ・ソルジャー』は、戦争の歴史的背景や大義を問うのではなく、戦争が引き起こす「個人の物語の終焉」に焦点を当てています。

    彼のささやかな優しさと、短い命が示唆するメッセージは、時代を超えて普遍的な反戦の祈りとして響き渡る名作といえるでしょう。

    この映画が、今なお現実的で身近なものとして感じてしまうことは、酷く悲しい。とも言えるのかもしれません。

    bitotabi
    bitotabi

    でも、大切なことですよね。知ってたいなって、思います。

    ダニー
    ダニー

    この記事を読んだり、この映画が面白いなと思った人は、ぜひ『ひまわり』も観てみてね。

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