映画を観ている最中、画面の右上にふと現れる白っぽい丸――「キューマーク」をご存知でしょうか。
デジタル上映が主流の現代において、あえてそのノスタルジックな記号を刻み込み、全編モノクロームの映像で綴られる映画があります。
それが、2024年に公開された『放課後の転校生』です。
一見すると懐かしい児童映画のような佇まいを見せながら、その裏側には観る者をざわつかせる「毒」が潜んでいます。

公式サイトでは「児童映画」として作ったとありますが、その内容はかなりキツイ。

どういう意図なのかめっちゃ気になるわ。
検閲の目をかいくぐった「子供向け」という名の迷宮
本作は、かつてのソ連時代に作られていた「児童映画」へのオマージュとして製作されました。当時のソ連では、子供向け作品という名目のもとでは国家検閲の目が緩くなる傾向がありました。その結果、他のジャンルでは決して描けないような実験的、あるいは不条理な表現が、児童映画という枠組みの中で密かに花開いていたのです。
物語は、ある学校に一人の転校生がやってくることから始まります。しかし、そこで展開されるのは瑞々しい青春劇ではありません。令和の時代にあえて「毒々しさ」や「不気味さ」を孕んだ、極めて異質な映像文化を目指して構築されています。モノクロの階調が、逃げ場のない閉塞感と、どこか現実離れした寓話的な世界観を際立たせています。
生理的な不快感と、その奥に潜む現代の闇
本作を鑑賞して強く感じられるのは、生理的な不快感と奇妙な魅力が同居する独特の手触りです。その質感は、チェコの巨匠ヤン・シュヴァンクマイエルの代表作『オテサーネク』を彷彿とさせます。

シュヴァンクマイエルはソ連ではなくチェコの監督ですが、共産圏特有の抑圧から生まれたシュルレアリスムという点では、本作のルーツに近い匂いを感じさせます。
特に、純真であるはずの少女に対して、あからさまに性的なメタファーを突きつける演出には、言葉にできない「気持ち悪さ」が随所に漂っています。また、物語の底流には「ネグレクト」や「餓死」といった、極めてシビアで現代的なテーマが横たわっているように見受けられます。
児童映画というオブラートに包みながらも、描かれているのは社会の歪みや人間の暗部です。画面に現れるキューマークは、懐古趣味な仕掛けとして機能する以上に、この不穏な物語が「記録された事実」であるかのような生々しさを、私たちの潜在意識に植え付けてくるのです。
今日の映学:映画というメディアが持つ「魔力」に触れる
最後までお読みいただきありがとうございます。
『放課後の転校生』は、決して誰もが心地よく鑑賞できる作品ではありません。しかし、美しさと不気味さが同居するモノクロの映像に身を浸していると、私たちがいつの間にか忘れていた「映画というメディアが持つ魔力」に触れたような感覚に陥ります。
現在、Amazon Prime Videoで視聴可能です。

自宅にいながら、この異様で不条理な世界へ足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。

お子様に見せるかどうかは自己判断で。トラウマになるかも。
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